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時期
1800–1900年
地域
フランス(パリ)ほかヨーロッパ各国
本DB収録 18 点

アカデミック美術

Academic art

美術アカデミーの教育と展覧会制度のもとで作られた絵画と彫刻をいう。デッサンを土台に主題の格付けを守り、筆跡を残さない仕上げと理想化された人体を良しとした。19世紀のフランスで頂点に達した。

解説OVERVIEW

定義と時代背景

16世紀半ばのイタリアに生まれた美術アカデミーは、画家を職人から学識ある者へ引き上げる場として広がった。フランスでは1648年に王立絵画彫刻アカデミーが設けられ、ルイ14世のもとで整えられて各国の手本となる。19世紀には、その教育を担うエコール・デ・ボザールと、官展であるサロン、最優秀者をローマへ送るローマ賞が一続きの階段をなし、画家の経歴はこの制度の中で決まった。サロンには会期中に50万人が訪れることもあり、その評価が売れ行きを左右した。

造形上の特徴

学生はまず古代彫刻の版画を写し、次に石膏像を描き、それを修めてはじめて生きた人体に向かう。この順序が示すとおり、規範は理想化された人体にあった。完成した画面には筆跡を残さず、輪郭をきちんと閉じ、明暗をなめらかにつなぐ「フィニ」が求められる。主題には格付けがあり、聖書・神話・古代史・文学に取材した歴史画が最上位に置かれ、肖像画、風俗画、風景画、静物画がこれに続いた。新古典主義の線とロマン主義の色を折り合わせる立場は「中庸」と呼ばれた。

代表画家と代表作

フランスではウィリアム・アドルフ・ブグロー、アレクサンドル・カバネル、ジャン=レオン・ジェロームが中心にいた。ブグローの《地獄のダンテとウェルギリウス》(1850年)は、規範の枠内で人体の描写を極限まで押した例である。ロシアのブリューロフの《ポンペイ最後の日》(1833年)は、大画面に多くの人物を配する典型を示す。ジェロームの《井戸から出る真理》(1896年)は、印象派に抗うアカデミスムの側の寓意として読まれる。イギリスではフレデリック・レイトンら、古代に範をとる画家が同じ土壌から現れた。ローレンス・アルマ=タデマの《ヘリオガバルスの薔薇》(1888年)は、考証の緻密さを極めた例である。

前後の流派との関係

18世紀末の新古典主義を土台に制度化が進み、写実主義のクールベは理想化を、印象派は磨き上げた仕上げそのものを偽りとして退けた。1863年の落選展は、その対立が表に出た出来事である。20世紀に入るとアカデミック美術は評価を失い、作品は収蔵庫へ移された。再評価は1970年代以降に始まり、1986年に開いたオルセー美術館が印象派と並べて展示したことが、フランスで論争を呼びつつその流れを決定づけた。

代表画家ARTISTS

代表作MAJOR WORKS

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