
- 生没年
- 1863–1920年
- 国籍
- イギリス
- 様式
- アカデミック美術
ハーバート・ジェームズ・ドレイパー
1863年に生まれ、1920年に没したイギリスの画家。ロイヤル・アカデミーとパリのアカデミー・ジュリアンに学び、ギリシア神話やロマンスに取材した大きな物語画で知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ロンドンの画商スティーヴン・オンピンの解説によれば、1885年にロイヤル・アカデミー付属美術学校に入り、翌年に人体素描で銀賞を受けた。1887年に初めてロイヤル・アカデミー展に出品し、1888年には奨学金を得てパリへ渡り、アカデミー・ジュリアンでジュール・ルフェーヴルとギュスターヴ・ブーランジェに学んだ。1889年にアカデミーの金賞と再び奨学金を得て、1890年の多くをスペインやイタリアの旅に費やした。帰国後は画家・挿絵画家として働き、とくに神話の主題を好んだ。1920年、57歳で、半ば忘れられたまま没した。
様式の変遷
同じ解説によれば、何度か推薦されながらロイヤル・アカデミーの会員にはならなかったが、アカデミー展には古典やロマンスに取材した大きな物語画をたびたび出した。友人のフレデリック・レイトンら多くのヴィクトリア朝の画家と同じく、作品ごとにチョークで人物の習作を描いた。後年は肖像画を多く手がけ、肖像画家としても知られた。
代表作
テート・ブリテンの《イカロスの哀悼》(1898年)のほか、1894年に称賛を集めた《海の乙女》、1897年にオーストラリアの美術館が買った《泡の精》がある。1901年にはエドワード・ポインターの推薦で、ロンドンのドレイパーズ・ホールの大きな天井画を引き受けた。
影響
同じ解説によれば、《イカロスの哀悼》は1900年のパリ万国博覧会で金賞を受けた。マンチェスター、ブラッドフォード、プレストンの美術館も画家の作品を買い入れている。1904年には、ロンドンのレスター・ギャラリーで素描と油彩スケッチ65点の展覧会が開かれた。