
《自画像》(1850年、ギュスターヴ・モロー美術館)
Wikimedia Commons / ギュスターヴ・モロー美術館 / Public domain- 生没年
- 1826–1898年
- 国籍
- フランス
- 様式
- 象徴主義
ギュスターヴ・モロー
1826年にパリで生まれ、1898年に同地で没したフランスの画家。神話と聖書の場面を宝石のような細部で描き、象徴主義の先駆となった。晩年はエコール・デ・ボザールで教え、自宅を美術館として遺した。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ギュスターヴ・モロー美術館の年譜によれば、1826年4月6日、建築家の父のもとパリに生まれた。新古典主義の画家ピコのアトリエを経て1846年にエコール・デ・ボザールに入ったが、ローマ賞に2度落ちて1849年に学校を離れた。1851年にテオドール・シャセリオーと親しくなり、その影響は決定的だった。1857年から1859年にイタリアに滞在して巨匠を模写し、若いエドガー・ドガと友情を結んだ。1864年、《オイディプスとスフィンクス》でサロンに復帰した。1888年に美術アカデミー会員に選ばれ、1892年からエコール・デ・ボザールの教授を務めた。1898年4月18日に没した。
様式
同館によれば、ミケランジェロの青年像やレオナルドの青みがかった背景、インドの細密画の曲線、版画集から集めた無数の手本を混ぜ合わせ、ほかに似たもののない独自の作品を生み出した。絵画は自然を写すものではなく精神に訴える「コーザ・メンターレ(心の営み)」だと考え、見る者を別の世界へ運び、考えるよりも夢見させることを目指した。
代表作
所蔵のメトロポリタン美術館によれば、《オイディプスとスフィンクス》(1864年)は、オディロン・ルドンやオスカー・ワイルドら若い世代を惹きつけた。同館の年譜によれば、1876年のサロンには《サロメの踊り》と水彩の《出現》を出し、晩年の《ユピテルとセメレ》(1895年)をパリのギュスターヴ・モロー美術館が所蔵する。
影響
同館の年譜によれば、エコール・デ・ボザールでの教え子にはジョルジュ・ルオー、アンリ・マティス、アルベール・マルケらがいた。1895年には、自宅を死後に美術館とするための改装を進め、今日のギュスターヴ・モロー美術館となっている。象徴主義の画家たちの先駆とされる。