《アレオパゴス会議のフリュネ》
赤い衣の老いた裁判官たちが居並ぶ薄暗い法廷で、弁護人が青い衣を一気に剥ぎ取る。光を浴びた裸の女は腕を上げて顔を覆い、裁判官たちは身を乗り出したり、のけぞったりして、さまざまな表情を見せる。
概要
《アレオパゴス会議のフリュネ》(仏: Phryné devant l'Aréopage)は、フランスの画家ジャン=レオン・ジェロームが1861年に描いた油彩画である。縦80センチ、横128センチ。古代アテナイの名高い遊女フリュネが裁かれた場面で、弁護人が彼女の衣を剥いで裁判官たちに裸身を示す瞬間を描く。1861年のサロンで大評判を呼んだ歴史画で、ドイツのハンブルク美術館が所蔵する。
画面の読み解き
RMN-GP の歴史教材『L'Histoire par l'image』の論考(クリストフ・コルビエ、2019年)によれば、フリュネは不敬の罪に問われ、恋人でもあった弁論家ヒュペレイデスが、裁判官に無実を納得させるために突然その体を露わにした。ジェロームは暖色と寒色の対比と強い照明で、石の壇に立つ女性を劇的に浮かび上がらせる。顔は恥じらうように腕で隠され、その白い体は、暗がりに座る赤い衣の日焼けした男たちと対照をなす。裁判官たちの好色で戯画的な顔は、さまざまな感情をあらわにする。舞台は18世紀に発見されたタルクィニアのエトルリアの墓を写した室内で、中央の小さな祭壇には古拙な様式のアテナ像が、そばにはポンペイの作例にならった青銅の三脚台が置かれる。ただし実際のアレオパゴス会議は、アクロポリス近くの丘で屋外に開かれていた。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。同じ論考は、本作がアングルの教えを受け継ぎ、フリュネの官能的な体はアングルの《ヴィーナス・アナデュオメネ》を思わせるとする。ジェロームは、古代の主題を風俗画のように親しみやすく描く「ネオ・グレック(新ギリシア派)」の中心的な画家だった。Palazzetto Bru Zane が公開するピエール・セリエの論考によれば、古典の著述家はヒュペレイデスが胸だけを見せたと伝えており、全裸のフリュネは画家の創作である。1861年には複数の批評家がこの点を指摘した。
来歴
セリエによれば、本作は1861年のサロンで人だかりを集め、1867年のパリ万国博覧会でもう一度展示されたのち、収集家が大金で買い取って公の場から消えた。画家の画商グーピルは版画や写真で複製を広め、若い彫刻家に裸のフリュネを等身大の彫刻にさせている。現在はハンブルク美術館の所蔵である。
意義
セリエによれば、1861年の批評はおおむね敵対的で、ポール・ド・サン=ヴィクトールは『ラ・プレス』に「放埒が過ぎる」と書き、トレ=ビュルガーは『ル・タン』で、ダヴィッドのギリシア人からの「なんという転落」と嘆いた。それでも絵は観衆を引きつけた。ジェロームは古代を借りて同時代の人々を笑い、歴史画を風俗画に変えたとセリエはみる。この絵は以後のフリュネ像を決定づけ、1893年のサン=サーンスのオペラ・コミック《フリネ》の源にもなった。画家自身も、1884年に描いたローマの奴隷市場の絵で、この裸体を後ろ向きにして引用している。