- 生没年
- 1856–1906年
- 国籍
- オーストリア
- 様式
- アカデミック美術
カール・カーラー
1856年にリンツで生まれ、1906年にサンフランシスコで没したオーストリアの画家。ミュンヘンで学び、オーストラリアで競馬の場面や肖像を描いたのち、アメリカに渡った。42匹の猫を描いた大作で知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
『オーストリア人名事典』によれば、1856年9月12日、ドナウ河畔のリンツに生まれた(1855年とする資料もある)。1875年からミュンヘン美術院でルートヴィヒ・レフツとヴィルヘルム・フォン・リンデンシュミットに学び、パリでの修業ののちミュンヘンに住んだ。1885年にオーストラリアへ渡り、1890年までメルボルンで活動した。英語版ウィキペディアによれば、その後ニュージーランドを経てアメリカに渡り、1891年にサンフランシスコに落ち着いてアトリエを開いた。1906年4月18日、サンフランシスコ地震で亡くなった。
様式の変遷
『オーストリア人名事典』によれば、ウィーンの画家ハンス・マカルトの様式で描いた作品をベルリン、ミュンヘン、ウィーンで発表し、成功を収めた。1880年の《カエサルの死》でミュンヘン美術院の賞を受けている。サザビーズによれば、オーストラリアとニュージーランドでは7年にわたり、主に競馬の場面の画家として名を上げた。アメリカでは肖像や人物、動物を描き、猫を描いたことがないまま、サンフランシスコの富豪の妻から飼い猫の絵の注文を受けた。
代表作
《マイ・ワイフズ・ラヴァーズ》(1891〜1893年頃、個人蔵)のほか、メルボルン・カップの日の競馬場を描いた《カップ・デー》《ダービー・デー》(ともに1887年)、《自画像》(1883年、リンツ)が知られる。
影響
日本語版ウィキペディアによれば、猫の大作が1893年のシカゴ万国博覧会に出品され、複製も出版されて、カーラーの名を広めた。英語版ウィキペディアによれば、作品が市場に出ることは比較的少ない。