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《ポンペイ最後の日》

Последний день Помпеи
《ポンペイ最後の日》カール・ブリューロフ
Wikimedia Commons / ロシア美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
カール・ブリューロフ
制作年
1833年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
456.5 × 651 cm

黒い雲の下、赤く燃える空を背に、稲妻が古代の町を照らし出す。崩れ落ちる彫像、石畳に倒れた母とすがる幼子、老いた父を抱えて運ぶ息子たち。人々はそれぞれに、降りかかる災厄から逃れようとしている。

概要

《ポンペイ最後の日》(露: Последний день Помпеи)は、カール・ブリューロフが1833年に完成させた油彩画である。縦456.5センチ、横651センチの大画面で、サンクトペテルブルクのロシア美術館が所蔵する。紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火で、古代ローマの町ポンペイが滅びる時を描いた歴史画である。所蔵館によれば、ブリューロフは、噴火を目撃した小プリニウスの手紙と、ポンペイの遺跡の発掘調査をもとに本作を構想した。1834年のパリのサロンで金メダルを受け、アカデミック美術の歴史画を代表する画家としてのブリューロフの名を高めた。

画面の読み解き

所蔵館によれば、舞台はポンペイの墓地にあたる「墓の通り」で、ヘルクラネウム門からディオメデス荘へ、さらに秘儀荘の方角へと続く1キロほどの眺めが描かれている。黒い雲が空を覆い、奥では噴火の赤い炎が地平を染め、稲妻が走る。右の建物の屋根からは彫像が崩れ落ち、石畳や壁には降りそそぐ石の黒い跡が点々と残る。中央の石畳には、息絶えた母が胸をあらわにして横たわり、幼子がその体にすがる。そばには壊れた車輪と、散らばった宝飾品。右手前では、兜をかぶった兵士と若者が老人を抱えて運び、その先では若者が、座り込んだ年老いた母に逃げるよう促す。右端では、花の冠をつけた女性を青年が抱きかかえ、背後では白い馬が棒立ちになって乗り手を振り落とす。左では、男が黄色い布を広げて妻と子をかばい、赤い頭巾の老人は胸に十字架をさげて空を仰ぐ。その足もとでは、母親が二人の娘を抱きしめている。左奥の墓の階段では、人々が家財を頭上に掲げて逃げまどう。

技法・様式

所蔵館は、ブリューロフが「神殿の階段にいる画家」として自分自身を、「娘を抱く母」としてユリア・サモイロワ伯爵夫人を描き込んだとしている。左奥の階段で、絵筆の入った箱を頭に載せて逃げる若者が、画家の自画像にあたる。人物は古代彫刻のように整った体つきで描かれ、稲妻の白い光と噴火の赤い光が、群像を暗い背景から浮かび上がらせる。ロシア大百科事典は、ブリューロフが古典主義の原則を守りながら、そこにロマン主義の要素を加えたと述べる。所蔵館は1995年に画布の裏打ちを行い、2023年12月から2024年9月には、制作からほぼ200年で初めての総合的な科学修復を行った。古いワニスや補彩を除く作業は、ガラスの仕切り越しに来館者に公開された。本ページの画像は修復前の撮影である。

来歴

本作は、ロシアの実業家アナトーリー・デミドフの注文により、ローマで描かれた。所蔵館によれば、1833年にミラノのブレラ美術館で初めて展示され、1834年3月にルーヴルで開いたパリのサロンで第1等の金メダルを受けた。その後、サンクトペテルブルクのエルミタージュ(1834年)と帝国美術アカデミー(1835年)でも展示された。デミドフは本作を皇帝ニコライ1世に贈り、皇帝は1836年にこれを帝国美術アカデミーへ移した。1851年まで同アカデミーにあり、エルミタージュを経て、1897年に創設されたばかりのロシア美術館に入った。所蔵番号Ж-5084。2024年の修復では、額の留め具から1833年のデミドフ家の刻印が見つかったと報じられている。

意義

作家ニコライ・ゴーゴリは、1834年8月付けの評論「ポンペイ最後の日」で、本作を「長いあいだ半ば昏睡したような状態にあった絵画の、輝かしい復活」と呼び、「完全な、世界的な創造と呼ぶことができる」と称えた。この評論は翌年の作品集『アラベスキ』に収められている。修復を終えた本作は、2024年10月18日、画家の生誕225年を記念してミハイロフスキー宮殿で開いた展覧会「偉大なカール」で公開された。題は同時代の人々が画家を呼んだ名で、会場には300点を超える作品が並んだ。