
アトリエ・ナダール撮影の肖像写真、1870〜1890年
Wikimedia Commons / カルナヴァレ美術館 / CC0- 生没年
- 1824–1904年
- 国籍
- フランス
- 様式
- アカデミック美術
ジャン=レオン・ジェローム
1824年にフランス東部のヴズールで生まれ、1904年にパリで没した画家、彫刻家。古代の歴史や東方の風俗を、写真のように精緻な描写で劇的な場面に仕立て、国立美術学校の教授として多くの弟子を育てた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1824年、フランス東部のヴズールに生まれた。1840年にパリへ出てポール・ドラローシュに学び、1843〜1844年に師とイタリアを訪れる。1846年のローマ賞では最終選考で落ちたが、翌1847年のサロンに出した《闘鶏をする若いギリシャ人》が3等メダルを得て注目される。1856年に初めてエジプトを訪れ、以後たびたび東方を旅した。1863年に画商グピルの娘と結婚し、同じころ国立美術学校の教授に任じられる。1865年にフランス学士院の会員に選ばれた。1904年にパリで没した。
様式の変遷
師のドラローシュは、歴史画を芝居のように、人の目の高さで見せる方法をとった。ジェロームは1847年ごろ、古代ギリシアの新しい見方に熱中した若い画家たち、ネオ・グレックの一人として出発し、歴史を劇的な見せ物として描いて、見る者を過去の出来事の目撃者にするような画面を得意とした。東方の情景では、写真も用いた細密な描写で想像による組み立てを覆い隠し、官能と暴力の場という西洋の東方像を強めたと、オルセー美術館はみる。1878年からは彫刻にも取り組み、1890年以降は彩色した彫刻に力を注いだ。義父グピルの出版網を通じ、作品は複製として世界中に広まった。
代表作
同作(1846年、オルセー美術館)、《ポリス・ウェルソ》(1872年、フェニックス美術館)、《蛇使い》(1879年頃、クラーク美術館)、《井戸から出る真理》(1896年、アンヌ・ド・ボージュー美術館)が知られる。
影響
1864年から没年までに2,000人を超える学生がジェロームのアトリエで学び、そこにはメアリー・カサット、トマス・エイキンズ、オスマン・ハムディ・ベイらがいる。アカデミック美術の中心にいた一方で、印象派に強く反対し、カイユボットが遺した印象派の作品を国が受け入れるのを非難した。細部まで作り込んだ歴史の場面は、のちのハリウッドの時代劇にも影響したとされる。