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カール・ブリューロフの肖像

《自画像》1848年、トレチャコフ美術館

Wikimedia Commons / トレチャコフ美術館 / Public domain
生没年
1799–1852年
国籍
ロシア
様式
アカデミック美術・ロマン主義
本DB収録 1 点

カール・ブリューロフ

Karl Bryullov

1799年にサンクトペテルブルクに生まれ、1852年にローマ近郊のマンツィアーナで没したロシアの画家。イタリアで描いた《ポンペイ最後の日》で名声を得て、同時代の人々から「偉大なカール」と呼ばれた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

1799年12月、サンクトペテルブルクに装飾彫刻家パーヴェル・ブリュロの子として生まれた。1809年から帝国美術アカデミーで学び、1822年、芸術家奨励協会の給費生としてイタリアへ渡る。1823年5月にローマに着き、ローマ、ナポリ、ミラノで制作した。1830年から1833年にかけて描いた《ポンペイ最後の日》で名声を得て、1835年末に帰国する。1836年から1849年まで美術アカデミーで歴史画の教室を受け持った。1849年に療養のためマデイラ島へ向かい、1850年からはイタリアで暮らして、1852年6月23日、ローマ近郊のマンツィアーナで没した。

様式

ロシア美術館は、ブリューロフをアカデミック美術の歴史画の最大の代表者と位置づける。ロシア大百科事典によれば、古典主義の原則を守りながら、古代の規範の厳格さにロマン主義の要素を加えた。イタリア時代には、対をなす《イタリアの朝》(1823年)と《イタリアの真昼》(1827年)で、イタリアの若い女性を描いている。肖像画にも優れ、同時代の人々はその技量から「偉大なカール」と呼んだ。

代表作

《ポンペイ最後の日》(1833年、ロシア美術館)が代表作で、1834年のパリのサロンで金メダルを受けた。肖像画では《馬上の貴婦人》(1832年、トレチャコフ美術館)が知られる。帰国後は《プスコフ包囲》(1839〜1843年、同)に取り組み、1843年から1847年にかけては、サンクトペテルブルクの聖イサアク大聖堂の大きな丸天井の天井画を手がけた。

影響

ロシア大百科事典によれば、ウクライナの詩人で画家のタラス・シェフチェンコもブリューロフの助言を受けた一人で、ブリューロフはシェフチェンコを農奴の身分から買い戻した。作家ゴーゴリは《ポンペイ最後の日》を、長く停滞していた絵画の「輝かしい復活」と称えている。

代表作MAJOR WORKS

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