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オスマン・ハムディ・ベイの肖像

オスマン・ハムディ・ベイの肖像写真

Wikimedia Commons / Public domain
生没年
1842–1910年
国籍
オスマン帝国
様式
アカデミック美術
本DB収録 1 点

オスマン・ハムディ・ベイ

Osman Hamdi Bey

1842年にイスタンブールで生まれ、1910年に同地で没したオスマン帝国の画家。パリで絵を学び、トルコ絵画に人物のいる構図をもたらした。帝室博物館の館長や美術学校の初代校長も務めた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

TDV イスラーム百科事典によれば、1842年12月30日、イスタンブールで大宰相イブラヒム・エドヘム・パシャの子として生まれた。1857年に法律を学ぶためパリへ送られ、そのかたわら美術学校で絵を学び、ジャン=レオン・ジェロームとギュスターヴ・ブーランジェのアトリエで制作した。1867年のパリ万国博覧会に参加し、1869年に帰国するとバグダードで2年間、州の外務局長を務めた。1873年のウィーン万国博覧会では委員を務める。1881年に帝室博物館の館長となり、今日のイスタンブール考古学博物館へと育てた。ミマール・スィナン芸術大学によれば、1882年に創設された美術学校の初代校長に任じられ、学校は1883年3月2日に授業を始めた。1910年2月24日、イスタンブールのクルチェシュメの邸宅で没した。

様式の変遷

同百科事典によれば、師ジェロームの影響のもとで東洋趣味の絵を描き、トルコ絵画に人物のいる構図をもたらした。ペラ美術館によれば、その人物画は西洋の東洋趣味の画家たちと様式が似るが、東洋を外からではなく内から見た点で異なり、暴力や官能を描かない。写真や自分の収集品、帝室博物館の品々、1873年のウィーン博覧会のために準備に加わった衣装集『オスマンの衣装』の衣服を使い、男性像にはさまざまな衣装で撮った自分の写真を用いた。ゲブゼやエスキヒサールの風景では、印象派を思わせる自由な筆づかいも見せる。

代表作

《亀の調教師》(1906年、ペラ美術館)のほか、同百科事典は《モスクからの退出》《緑のモスクでのコーラン読誦》《絨毯売り》《霊廟の門の前の女たち》《ミモザを持つ女》などを主な作品に挙げる。

影響

同百科事典によれば、1884年に古物規則を定め、古い遺物を国の財産として国外への持ち出しを禁じた。この規則は1973年まで効力を保った。1887年にはサイダ(シドン)の発掘を始め、「アレクサンドロスの石棺」などを掘り出して、トルコ最初の考古学者として名を知られた。女性をトルコ絵画で初めて主題に取り上げた画家でもある。

代表作MAJOR WORKS

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