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ウィリアム・アドルフ・ブグローの肖像

ウィリアム・アドルフ・ブグロー《自画像》1886年、個人蔵

Wikimedia Commons / Public domain
生没年
1825–1905年
国籍
フランス
本DB収録 6 点

ウィリアム・アドルフ・ブグロー

William-Adolphe Bouguereau

1825年にラ・ロシェルで生まれ、1905年に同地で没した画家。筆跡を残さない仕上げと理想化された人体でサロンの頂点に立ち、19世紀フランスのアカデミック美術を代表した。

略歴BIOGRAPHY

生涯

1825年11月30日、港町ラ・ロシェルに、ぶどう酒とオリーブ油を商う家に生まれた。12歳でポンスの叔父のもとに預けられ、アングルに学んだルイ・サージュから絵の手ほどきを受ける。ボルドーの市立美術学校を経て、1846年3月にパリへ出てエコール・デ・ボザールに入り、フランソワ=エドゥアール・ピコに学んだ。ローマ賞には1848年と1849年に落ち、三度目の1850年に首席を分け合う。同年12月にローマへ発ち、ヴィラ・メディチで3年を過ごした。1859年にレジオン・ドヌール勲章、1885年にはサロンの大賞を受ける。1860年代からはアカデミー・ジュリアンで教え、マティスら多くの画家を育てた。妻と5人の子のうち4人を先立たれ、1905年8月19日にラ・ロシェルで没した。

様式の変遷

初期の《地獄のダンテとウェルギリウス》(1850年)は、激しい身振りと歪んだ筋肉を押し出した異色作である。ローマ滞在でラファエロと古代彫刻を学んだのち、作風は落ち着いた輪郭となめらかな肌へ向かった。以後は聖母子、田園の少女、水浴図や神話の女性像を、筆跡の残らない仕上げで繰り返し描く。生涯で822点以上が記録され、年に20点を超える油彩を仕上げる年もあった。

代表作

《ニンフとサテュロス》(1873年、クラーク美術館)、《ヴィーナスの誕生》(1879年、オルセー美術館)、《最初の悼み》(1888年、ブエノスアイレス国立美術館)、《羊飼いの少女》(1889年、フィルブルック美術館)などが知られる。多くが南北アメリカの収集家に高値で買われ、生前の名声を支えた。

影響

生前はアカデミック美術の頂点として遇された一方、ドガらは磨き上げた表面を「ブグロー風」と呼んで嘲り、ゴーギャンも嫌った。20世紀に入ると評価は落ち、作品は収蔵庫へ送られる。1974年のニューヨークでの展覧会を皮切りに見直しが進み、1980年代以降は市場価格も回復した。オルセー美術館が印象派と並べて展示する現在の配置は、その再評価の結果でもある。

代表作MAJOR WORKS

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