
フェリックス・ナダールの工房が撮影したギュスターヴ・クールベ、1860年代
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1819–1877年
- 国籍
- フランス
- 様式
- 写実主義
ギュスターヴ・クールベ
神話も宗教も退け、目の前にあるものだけを主題にした画家。労働者や田舎の葬列を歴史画の大きさで描き、写実主義という語を絵画に結びつけた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1819年6月10日、フランス東部フランシュ=コンテ地方のオルナンに、裕福な農家の子として生まれた。1839年にパリへ出るが美術学校には入らず、ルーヴル美術館で巨匠の模写を重ねて腕を磨いた。1849年から1850年にかけての《オルナンの埋葬》と《石割人夫》で名を知られる。1855年のパリ万博で主要作の出品を断られると、会場の近くに小屋を建てて「レアリスム」と掲げた個展を開いた。1871年のパリ・コミューンでは美術の委員を務め、ヴァンドームの円柱の撤去の責任を問われて投獄と巨額の賠償を課され、1873年にスイスへ亡命する。1877年12月31日、レマン湖畔のラ・トゥール=ド=ペルツで没した。
様式
「天使を見せてくれたら描こう」という言葉が伝わる。パレットナイフで絵具を練りつける厚塗りと、暗い下地から明るい部分を起こす描き方を用い、画面に物としての手ざわりを残す。田舎の葬列や石を割る労働者を、それまで歴史画にあてられていた大画面で描いたことが、当時の秩序への挑発と受け取られた。
代表作
《石割人夫》(1849年、1945年に失われた)のほか、《オルナンの埋葬》(1849〜1850年、オルセー美術館)、《麦をふるう女たち》(1854年、ナント美術館)、《セーヌ河畔のお嬢さんたち(夏)》(1857年、パリ市立プティ・パレ美術館)、《画家のアトリエ》(1854〜1855年、オルセー美術館)、《世界の起源》(1866年、同)、初期の自画像《絶望》が知られる。
影響
写実主義という語を絵画に結びつけた当人であり、エドゥアール・マネや初期の印象派の画家たちに、同時代の生活をそのまま主題にしてよいという前例を与えた。制度の外で個展を開く方法も、のちの落選展や独立展の先例となった。