- 時期
- 1520–1600年
- 地域
- イタリア(フィレンツェ、ローマ)を中心に、フランス、スペイン、アルプス以北
- 時代
- ルネサンス
マニエリスム
1520年頃から16世紀末にかけて、イタリアを中心に広まった美術の様式。盛期ルネサンスの調和を土台に、引き伸ばされた人体やねじれたポーズ、不自然な色彩で、技巧と緊張に満ちた画面を作り出した。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
マニエリスムは、盛期ルネサンスの後、1520年頃から16世紀末にかけての美術を指す。名称はイタリア語の「マニエラ(手法・様式)」に由来し、先人の優れた手法を洗練させて描く態度を意味した。ラファエロが没した1520年前後から、宗教改革、1527年のローマ劫掠、カトリックの対抗改革と、ヨーロッパは大きく揺れ動く。レオナルドやミケランジェロ、ラファエロが到達した調和と理想を前に、次の世代の画家たちは、それを誇張し、ずらし、崩すことで新しい表現を探った。かつては衰退期とみなされたが、20世紀に入って独自の価値をもつ様式として再評価された。
造形上の特徴
人体は細長く引き伸ばされ、首や手足が不自然に長い。体をらせん状にひねる「フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状の人体)」のポーズが好まれ、人物は画面に詰め込まれて、奥行きの読み取りにくい空間に置かれる。色彩は、玉虫色の衣や冷たいピンクと青、緑のように、自然な色合いから離れた鮮やかなものが多い。ルネサンスの安定した構図に比べ、落ち着かない緊張感と知的な技巧が際立ち、それが見分ける手がかりになる。
代表画家と代表作
フィレンツェのポントルモ(《十字架降架》1525〜1528年頃、サンタ・フェリチタ聖堂)とロッソ・フィオレンティーノ、パルマのパルミジャニーノ(《長い首の聖母》1534〜1540年、ウフィツィ美術館)、メディチ家の宮廷画家ブロンズィーノらが代表的である。ミケランジェロの《最後の審判》(1536〜1541年)もこの時代の空気を伝える。16世紀後半には、ヴェネツィアとローマで学んだエル・グレコがスペインのトレドに移り、《オルガス伯の埋葬》(1586〜1588年)などで、マニエリスムを神秘的な宗教画へと高めた。
前後の流派との関係
マニエリスムは、盛期ルネサンスの完成された調和を出発点とし、とくにミケランジェロの力強くねじれた人体から多くを学んだ。様式はフランスのフォンテーヌブロー派や、ネーデルラント・ドイツの北方マニエリスムとして各地の宮廷に広まる。16世紀末になると、対抗改革のもとで分かりやすく心を動かす宗教画が求められ、カラヴァッジョの自然主義とカラッチ一族の古典主義が、技巧に傾いたマニエリスムに代わってイタリア・バロック絵画を開いた。