《胸に手を置く騎士》
灰色の地を背に、黒い衣の男がこちらをまっすぐ見つめる。細い白の襞襟が顔を縁取り、胸に当てた右手の長い指が白く浮かぶ。右下には、金色に光る剣の柄がのぞく。
概要
《胸に手を置く騎士》(西: El caballero de la mano en el pecho)は、ギリシャ生まれの画家エル・グレコが1580年頃に描いた油彩の肖像画である。縦81.8センチ、横66.1センチ。胸に右手を当てた黒衣の男の胸像で、画家がスペインで描いた最初期の作品の一つとされる。プラド美術館が所蔵する。
画面の読み解き
所蔵館によれば、30歳ほどの男が胸から上で描かれる。耳の後ろまで立ち上がる細い白の襞襟が頭を縁取り、体にぴったりした黒い絹の胴衣の上に、胸に置いた右手と、金めっきの剣の柄が浮かび上がる。見えない左手は、鞘に収めた剣を示しているようにも見える。背景は真珠色を帯びた灰色の無地で、下塗りの赤褐色がところどころ透けて、その調子に変化を与えている。正面を向いた構図と強い光には、ハプスブルク家が広めた、モデルをごく簡素に描く宮廷肖像との形の上での共通点がある。画面の右側には後から加えられた署名の跡が白く、左下の隅には「1136」の数字がオレンジ色で書かれている。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。所蔵館によれば、比べられる例はイタリア・ルネサンスの絵画、とくにヴェネツィア派にも見られ、エル・グレコの技法と構図はそれと最も強く結びつく。胸に当てた手の身ぶりは、モデルの内面を伝えるきわめて表現力の強い修辞の仕掛けとして働いている。英語版ウィキペディアによれば、本作は、黒い衣に白い襞襟をつけた名の知れない紳士たちを描いた、一連の世俗の肖像の一つでもある。
来歴
所蔵館によれば、王室コレクションに属し、フェリペ5世の所蔵品として、マドリード郊外エル・パルドのアルコ公の別荘に置かれていた。1745年の目録では「夏の第13の間」、1794年の目録では「第12の間」に記録がある。1834年にプラド美術館に入った。所蔵番号は P000809。現在は第008B室に展示されている。
意義
所蔵館によれば、本作の象徴的な名声から、モデルが誰かをめぐってさまざまな解釈が生まれた。作家ミゲル・デ・セルバンテスや、王の秘書アントニオ・ペレスとする説もあったが、最も説得力があるのは、第3代モンテマヨール侯フアン・デ・シルバ・イ・デ・リベーラとする説である。軍の指揮官で王室の首席公証人でもあった彼の職務が、誓いを立てる瞬間を描いたような、厳かな手の身ぶりを説明するという。