
《若い男としての自画像》1548年頃、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
Wikimedia Commons / ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館 / Public domain- 生没年
- 1519–1594年
- 国籍
- ヴェネツィア共和国
- 様式
- ヴェネツィア派 / マニエリスム
ティントレット
1519年頃にヴェネツィアで生まれ、1594年に同地で没したヴェネツィア派の画家。劇的な光と大胆な短縮法、素早い筆づかいで、教会や同信会、総督宮のための大画面を数多く描いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
本名はヤコポ・ロブスティ。1519年、ヴェネツィアの染物職人の子に生まれ、「小さな染物屋」を意味するティントレットの名で呼ばれた。17世紀の伝記作者リドルフィによれば、ティツィアーノの工房に入ったものの数日で追い出され、以後はほぼ独学で修業したという。1548年、サン・マルコ大同信会のために描いた《奴隷を救う聖マルコ》で名声を得る。1564年からサン・ロッコ大同信会の会館と教会の装飾に取り組み、1580年代後半までに60点を超える作品を描いた。総督宮の装飾にも長く携わり、晩年には大評議会の間の《天国》を息子ドメニコらの助けで完成させた。生涯ほとんどヴェネツィアを離れず、1594年5月31日に同地で没した。
様式の変遷
アトリエに「ミケランジェロの素描とティツィアーノの色彩」という標語を掲げたと伝えられ、ミケランジェロの彫刻の模型を何度も素描して力強い人体を学んだ。《奴隷を救う聖マルコ》では、頭から空を舞い降りる聖人を大胆な短縮法で描き、舞台のような劇的な構成で注目を集めた。その後は、暗い画面に鋭い光を走らせるキアロスクーロと、長く素早い筆づかいで、大画面を短期間に仕上げる術を確立する。その速さは称賛と批判の両方を受けた。サン・ロッコ大同信会の晩年の連作では、光と闇がいっそう幻想的になった。
代表作
《奴隷を救う聖マルコ》(1548年、ヴェネツィア、アカデミア美術館)、《スザンナの水浴》(1555〜1556年頃、ウィーン美術史美術館)、《磔刑》(1565年、サン・ロッコ大同信会)、総督宮の《天国》(1588〜1592年頃)、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の《最後の晩餐》(1592〜1594年頃)がある。晩年の《自画像》(1588年頃、ルーヴル美術館)も名高い。
影響
工房では娘マリエッタ・ロブスティと息子ドメニコが助けた。ヴェネツィアで学んだエル・グレコは、その劇的な光と大胆な構図から多くを吸収した。激しい動きと光の効果は、次の世紀のバロック絵画を先取りするとみなされる。19世紀には、批評家ジョン・ラスキンがその作品を熱心に称え、エドゥアール・マネはルーヴル美術館の《自画像》を模写して「世界で最も美しい絵の一つ」と呼んだ。