《コジモ1世・デ・メディチの肖像》
深い青の幕を背に、若い公が銀色に輝く甲冑をまとい、体を右へ向けながら顔を左へめぐらせる。胸当ての左右には赤い縁取りのある丸い当て金があり、右手は兜の上に置かれる。
概要
《コジモ1世・デ・メディチの肖像》は、フィレンツェの画家アーニョロ・ブロンズィーノが1545年頃に描いた油彩の肖像画で、ウフィツィ美術館が所蔵する。描かれているのは、のちに初代トスカーナ大公となるフィレンツェ公コジモ1世・デ・メディチで、甲冑姿の公を描いた一連の公式肖像の最初の作とされる。同じ図柄の作品はマドリードのティッセン=ボルネミッサ美術館やシドニーのニューサウスウェールズ州立美術館などにもあり、ティッセン=ボルネミッサ美術館の解説は、多くの専門家がウフィツィの本作を、ブロンズィーノ自身や工房によるすべての複製のもとになった原型、あるいは最初の版とみなしているとする。
画面の読み解き
画面では、若い公が、銀色に光る板金の甲冑を着け、深い青の幕を背に半身で表される。ティッセン=ボルネミッサ美術館の解説によれば、この型の肖像はどれも、体を右に向け、顔を左に向けて、視線を顔の向きのまま背景の幕へ遠く失わせる同じ構図をとり、モデルと見る者の間には何の交流も生まれず、距離が生まれる。公は脱いだ兜に優雅な手を置いており、それはその統治が平和なものでもあることを示すためかもしれない。胸当ての首当てのすぐ下の左右には、中央に棘のある丸い当て金がついており、馬上用ではなく徒歩用の甲冑である可能性を示している。
技法・様式
同館の解説によれば、甲冑を描くことで、ブロンズィーノはその装飾の細部を克明に描き、磨き上げた金属の輝きを布の質感と対比させることができた。当時のイタリアの君主たちは、古代の英雄や戦士にならって自らを描かせることを好み、甲冑は、強大な支配者としての姿をたたえる最もふさわしい道具立てとなった。気取った姿勢と入念に整えた背景、顔の表情は、当時のマニエリスムの様式に従う、洗練された宮廷の求めを映している。ニューサウスウェールズ州立美術館は自館の版について、反射と光と影に満ちた公の甲冑はそれだけで目を奪い、ほとんど絵を描く理由になっていると述べる。
来歴
ティッセン=ボルネミッサ美術館の解説によれば、1543年頃、フィレンツェでの権力を固めたコジモには、公式の姿をつくる必要が生じた。それに応えてブロンズィーノが描いた最初の甲冑姿の肖像は、領内と国外の両方で政治の宣伝の道具として働き、のちに多くの版が作られた。美術史家ガンバが連作の最初の作と認めたウフィツィの本作は、1545年頃、ポッジョ・ア・カイアーノのメディチ家の別荘で描かれた可能性が高く、16世紀の伝記作者ヴァザーリが記した作品と考えられている。ヴァザーリによれば、公はブロンズィーノの腕前、とりわけ実物をこのうえなく入念に写す力を見て、当時まだ若かった自らを、白く磨いた甲冑に身を包み、片手を兜に置いた姿で描かせた。
意義
同館の解説によれば、どの版でも公は同じ甲冑を着て同じ姿勢をとるが、加えられた飾りによって区別される。メトロポリタン美術館の工房作では兜が布の上に置かれ、オハイオ州のトレド美術館とカッセルの版では、メディチ家の象徴である若枝(ブロンコーネ)が右側に描かれる。1546年頃に金羊毛騎士団の騎士となったのちは、その頸飾を甲冑の上に掛けた姿も描かれた。ブロンズィーノの肖像は、彫刻のような力強い存在感と独特の色調、誇り高い姿勢によって、ヨーロッパ中の宮廷肖像に影響を与えた。同じ画家による公妃の肖像には、《エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニ》がある。