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アーニョロ・ブロンズィーノの肖像

アレッサンドロ・アローリ《聖三位一体》(1567〜1571年頃、フィレンツェ、サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂サン・ルカ礼拝堂)の部分。弟子アローリが描いたブロンズィーノの肖像とされる

Sailko / サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂 / CC BY 3.0
生没年
1503–1572年
国籍
フィレンツェ公国
様式
マニエリスム
本DB収録 2 点

アーニョロ・ブロンズィーノ

Bronzino

1503年にフィレンツェで生まれ、1572年に同地で没したマニエリスムの画家。コジモ1世・デ・メディチの宮廷画家として、磁器のように滑らかな仕上げと冷ややかな気品をたたえた肖像画を数多く描いた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

本名はアーニョロ・ディ・コジモ。1503年11月17日、フィレンツェの肉屋の家に生まれた。ブロンズィーノ(「青銅色の」の意)の呼び名は、浅黒い肌や赤みを帯びた髪に由来するともいわれる。14歳でポントルモに弟子入りし、師の仕事を手伝いながら長く協力関係を続けた。1539年、コジモ1世・デ・メディチとエレオノーラ・ディ・トレドの婚礼の装飾に加わったのを機にメディチ家に重用され、以後その宮廷画家として、君主一家や廷臣の肖像、ヴェッキオ宮殿のエレオノーラの礼拝堂の壁画などを手がけた。詩人としても知られ、1563年には美術アカデミー(アカデミア・デル・ディゼーニョ)の創設に加わった。1572年11月23日、愛弟子アレッサンドロ・アローリの家で没した。

様式の変遷

初期にはポントルモの影響が強く、二人の手を見分けにくい作品もある。やがて師の不安げな表情や激しい動きを抑え、引き伸ばされた優美な人体と、落ち着いた姿勢、磁器のように滑らかな肌の表現を特徴とする独自の様式を築いた。肖像画では、人物は感情をほとんど表に出さず、衣装や宝飾品の質感が細密に描き込まれて、宮廷の威厳と距離感を伝える。宗教画や寓意画では、ミケランジェロやラファエロの人体に学んだ複雑なポーズを組み合わせ、知的で官能的な画面をつくった。

代表作

《エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニ》(1545年頃、ウフィツィ美術館)、《ルクレツィア・パンチャティキの肖像》(1545年頃、同)、《ネプトゥヌスに扮したアンドレア・ドーリア》(1545〜1546年頃、ブレラ美術館)、《愛の寓意》(1545年頃、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)、サン・ロレンツォ聖堂の壁画《聖ラウレンティウスの殉教》(1569年)がある。

影響

感情を抑えた気品ある宮廷肖像の型は、フィレンツェにとどまらず、以後1世紀近くにわたってヨーロッパの宮廷肖像画に影響を与えた。メディチ家の肖像は外交の贈り物として工房で数多く複製され、その姿を各地に広めた。19世紀から20世紀初めには、マニエリスム全体とともに冷たく技巧的だと低く評価されたが、近年は、その洗練された様式と卓越した描写があらためて高く評価されている。

代表作MAJOR WORKS

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