
ティツィアーノ《ジュリオ・ロマーノの肖像》
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1499–1546年
- 国籍
- イタリア
- 様式
- 盛期ルネサンス・マニエリスム
ジュリオ・ロマーノ
1499年ごろにローマで生まれ、1546年にマントヴァで没したイタリアの画家・建築家。ラファエロの第一の助手として工房を継ぎ、のちマントヴァの宮廷でテ離宮を建てて装飾した、初期マニエリスムの代表者。
略歴BIOGRAPHY
生涯
マドリードのティッセン=ボルネミッサ美術館の画家紹介によれば、1499年ごろにローマで生まれた画家・建築家で、ラファエロのもとで修業し、まもなくその第一の助手、協力者となった。ヴァティカン宮殿の諸室の装飾でラファエロとともに働き、1518年から1519年には、ラファエロがレオ10世のロッジアの装飾の計画を練るあいだ、制作にあたる画家たちを監督した。1520年にラファエロが没すると、若いジョヴァン・フランチェスコ・ペンニとともに工房を率い、コンスタンティヌスの間の装飾を続けて《ミルウィウス橋の戦い》を描いた。1524年にマントヴァのフェデリーコ・ゴンザーガの宮廷画家・建築家となって同地に移り、1546年に没するまでそこにとどまった。
様式
同館によれば、初期マニエリスムを代表する一人である。ラファエロとの共作が多いため、ヴァティカンの諸室で彼の手を見分けるのは容易ではないが、ヘリオドロスの間、ボルゴの火災の間、コンスタンティヌスの間のかなりの部分を手がけたとされる。
代表作
同館によれば、最も重要な仕事は、1527年から1534年にかけて、マントヴァの町はずれにゴンザーガ家の憩いの館として建てて装飾したテ離宮で、なかでもプシュケの間と巨人の間のフレスコは、質の高さと劇的な構図で名高い。1536年から1538年にはマントヴァの公爵宮殿の「トロイアの間」を手がけた。
影響
同館によれば、マントヴァでは町の文化の中心人物となり、あらゆる種類の芸術の事業を組み立てて実現させた。ローマ時代には、のちの教皇クレメンス7世となるジュリオ・デ・メディチ枢機卿ら有力者のために、ローマの別荘も設計している。