《アンテア》
- 作者
- パルミジャニーノ
- 制作年
- 1530–1535年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 136 × 86 cm
- 所蔵
- カポディモンテ美術館
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- マニエリスム
暗い緑の背景に、若い女性がほぼ全身で正面を向いて立つ。金色の繻子の衣に刺繍の前掛けをつけ、右肩に頭のついたテンの毛皮を掛ける。左手の指は金の鎖に掛かり、まなざしはまっすぐこちらに向く。
概要
《アンテア》は、パルマ出身の画家パルミジャニーノが1530年から1535年頃に描いた油彩の肖像画で、ナポリのカポディモンテ美術館が所蔵する。館の題は「アンテアと呼ばれる若い女性の肖像」。2008年に館からこの絵を借りて単独の展覧会を開いたフリック・コレクションは、イタリア・ルネサンスの女性の肖像画の名作として広く認められながら、制作年も、なぜ誰のために描かれたのかも、モデルが誰かも分かっていない作品だとしている。年について、フリック・コレクションは1531年から1534年頃とし、2023年にこの絵を展示したルーヴル美術館の展覧会頁は1524年から1527年と記している。
画面の読み解き
フリック・コレクションによれば、女性は立ったまま、驚くほど率直なまなざしで見る者を見つめる。整った卵形の顔は、肩幅と腰の張ったありえないほど豊かな体の上にある。金色の繻子の衣には銀の帯飾りがあしらわれ、前掛けと下着の袖口には繊細な黒糸の刺繍が施されている。ルビーと真珠が豪華な装いを引き立て、肩にはテンの毛皮が掛けられている。毛皮、金の鎖、頭の飾り留め、刺繍の前掛け、金の袖といった品の多くは、恋人が贈る品で、身につけることは求愛を受け入れたことを表した。女性は鎖に指を掛け、手で胸を指して、恋人の申し出を受け入れることをほのめかしている。ルーヴル美術館の展覧会頁は、肩の毛皮がただの毛皮ではなく、目の光る獣の頭が手袋をはめた手に鋭い歯でかみつき、細い鎖がその小さな獣を抑えているように見えることに注目している。
技法・様式
フリック・コレクションの会員誌によれば、エナメルを施した金の鎖の輪の輝きや、髪に編み込まれた黒いリボンに映る光など、画面には透き通るような細部がある。ほぼ全身を正面から立ち姿で描く形式は、ルネサンスの女性の肖像画に前例がなく、動きの可能性を感じさせる。左側でふわりとふくらむ衣は、女性が今こちらへ向き直ったことを思わせる。写実的な描き方と細部は、画家が1534年から1539年の間に描いた作品、とりわけ《長い首の聖母》と比べられ、多くの研究者は同じ頃の制作と考えてきた。しかし、1534年頃の未完の《サトゥルヌスとピリュラ》に現れるプットの素描の下に、アンテアの左手の習作が見つかっており、この肖像が1534年頃までに仕上がっていた可能性も示している。
来歴
フリック・コレクションによれば、パルマでの晩年(1530〜1539年)のパルミジャニーノの最も重要な庇護者は、貴族のバイアルディ家だった。画家の「親友」で、財政的な支えでもあったフランチェスコ・バイアルディは、パルミジャニーノの絵22点と素描500点以上を所有しており、1561年頃とされる彼の財産目録に本作も記されている。ただし、バイアルディが肖像を注文したかどうかは分かっていない。モデルを「アンテア」と呼んだ最初の記録は、1671年に画家で著述家のジャコモ・バッリが著した『イタリアの画家の旅』で、パルミジャニーノの愛人アンテアを描いたとしている。アンテアは16世紀のローマの名高い高級娼婦の名で、18世紀以降はこの女性とみなされたが、そうした説は今では退けられ、題名だけが残った。
意義
フリック・コレクションによれば、モデルは画家の娘や召使い、北イタリアの貴族の一族の女性、名も知れぬ貴族の花嫁ともされてきたが、どれも決め手がない。画家はアンテアの顔の型を、若い男の素描や《長い首の聖母》の天使の一人にも用いており、性別を超えた理想の顔立ちを使ったことは、この女性が特定の人物ではなく画家の創作であることを示唆する。本作はおそらく、女性の美と徳を主題とした、ルネサンスに好まれた「理想の美人」の肖像である。同じ画家の作品には、ウィーン美術史美術館の《凸面鏡の自画像》がある。