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ミケランジェロ・ブオナローティの肖像

ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ《ミケランジェロ・ブオナローティの肖像》(1545年頃、メトロポリタン美術館)の部分

Wikimedia Commons / メトロポリタン美術館 / Public domain
生没年
1475–1564年
国籍
フィレンツェ共和国
様式
盛期ルネサンス
本DB収録 2 点

ミケランジェロ・ブオナローティ

Michelangelo

1475年にトスカーナのカプレーゼで生まれ、1564年にローマで没した彫刻家、画家、建築家。《ピエタ》や《ダヴィデ》、システィーナ礼拝堂の天井画と《最後の審判》で知られ、「神のごとき人」と呼ばれた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

『イタリア人名辞典』(L・ドゥスラー、E・N・ジラルディ、1972年)によれば、1475年3月6日、トスカーナのカプレーゼで、ルドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニの子に生まれた。父の反対を押し切って、当時フィレンツェで最も名のあった画家ドメニコ・ギルランダイオの工房に入り、のちロレンツォ・デ・メディチが設け、老彫刻家ベルトルド・ディ・ジョヴァンニが指導したサン・マルコの庭の学校に移る。1498年8月27日にサン・ピエトロ大聖堂の《ピエタ》の契約を結び、1501年8月16日にはフィレンツェ大聖堂の造営局から巨大な《ダヴィデ》の制作を任された。1509年1月にシスティーナ礼拝堂の天井画に取りかかって1512年9月に完成させ、1536年から1541年には同礼拝堂の祭壇壁に《最後の審判》を描いた。1547年1月からはサン・ピエトロ大聖堂の造営の主任建築家を務める。1564年2月18日に没し、遺骸はフィレンツェに運ばれてサンタ・クローチェ聖堂に納められた。没地は、メトロポリタン美術館の作家情報によればローマである。

様式の変遷

キンベル美術館によれば、ミケランジェロは自らを何よりも彫刻家と考えていたが、最初の修業は画家の工房で受けた。メトロポリタン美術館は、長い生涯を通じてその素描と構想(ディゼーニョ)の卓越をたたえられ、素描、設計、彫刻、絵画、建築を極めたことから「神のごとき人(イル・ディヴィーノ)」と呼ばれたとする。同辞典によれば、板絵の《聖家族(ドーニ家の円形画)》は、1503〜04年、アニョーロ・ドーニとマッダレーナ・ストロッツィの婚礼に際して注文された。

代表作

最初の絵とされる《聖アントニウスの苦悩》(1487年、キンベル美術館)がある。ほかに彫刻の《ピエタ》(サン・ピエトロ大聖堂)と《ダヴィデ》(1501〜1504年)、システィーナ礼拝堂の天井画(1509〜1512年)と《最後の審判》(1536〜1541年)が知られる。

影響

キンベル美術館によれば、存命中からジョルジョ・ヴァザーリとアスカニオ・コンディヴィが伝記を著し、コンディヴィの伝記は本人の監修を受けた。メトロポリタン美術館は、西洋美術史にそびえ立つ天才と呼び、2017年の展覧会で、卓越した素描家、設計者としてのその遺産をたどった。

代表作MAJOR WORKS

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