《斧槍兵の肖像》
- 作者
- ヤコポ・ダ・ポントルモ
- 制作年
- 1529–1530年
- 素材
- 板からキャンバスに移し替え / 油絵具(あるいは油彩とテンペラ)
- 寸法
- 95.3 × 73 cm
- 所蔵
- J・ポール・ゲティ美術館
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- マニエリスム
暗い緑の城壁の前に、赤い帽子の若者が槍を手に立ち、まっすぐこちらを見る。白い胴着に金の鎖をかけ、赤いズボンの腰に剣を帯びて、左手を腰に当てる。帽子にはヘラクレスとアンタイオスを刻んだ金の飾りが光る。
概要
《斧槍兵の肖像》は、フィレンツェの画家ヤコポ・ダ・ポントルモが1529年から1530年にかけて描いた肖像画で、ロサンゼルスのJ・ポール・ゲティ美術館が所蔵する。館の題は《斧槍兵の肖像(フランチェスコ・グアルディ?)》。館の記録では、もとは板に油彩(あるいは油彩とテンペラ)で描かれ、のちにキャンバスに移し替えられた。縦95.3センチ、横73センチ。所蔵番号は89.PA.49で、館は1989年に、収集家チョーンシー・D・スティルマンの遺産から購入した。館が刊行したエリザベス・クロッパーの研究書は、モデルが誰かという問いが、この絵の解釈そのものを大きく左右すると述べている。
画面の読み解き
暗い緑の陰に沈む城壁の稜堡を背に、若者が長い槍を右手で立て、体をわずかに斜めにして正面からこちらを見つめる。赤い帽子をかぶり、襟の立った白い胴着の胸に細い金の鎖をかけ、ふくらんだ袖口からは白い襞がのぞく。赤いズボンの腰には剣を帯び、左手を腰に当てている。クロッパーによれば、帽子の金の飾りに刻まれたのは、ヘラクレスが巨人アンタイオスを地面から持ち上げて倒す姿である。故郷の地にいるかぎり負けない巨人と、故郷の城壁の前に立って自分の土地を守る若者との対比は、こうした飾りが表すのにふさわしい機知に富んだ着想だという。
技法・様式
クロッパーによれば、ポントルモの成熟期の肖像は、細部は自然でも、画家自身の際立った様式を強く刻んでいる。本作の若者の姿には、ドナテッロの彫刻《聖ゲオルギウス》と大理石の《ダヴィデ》に通じる、若さの美しさと恐れを知らぬ勇気が重ねられている。卵形の頭が首にのる形や、くっきりした頬の輪郭、細い鼻と弓なりの眉はダヴィデ像に近く、少し開いた厚い唇は、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた若者たちを思わせる。
来歴
クロッパーによれば、本作が最初に記録されるのは、フィレンツェのリッカルディ家の1612年の財産目録で、そこでは「若い頃のコジモ公の肖像」として、赤いズボンと赤い帽子、手に槍、腰に剣、白い胴着と首の鎖、見事な金の額をもつ絵と記されている。1809年にパリの画商ルブランの目録でラファエロの弟子ペンニの作とされ、フランスのいくつかの収集を経た。ボナパルト家の収集にあった頃に、板からキャンバスに移されたとみられる。ポントルモの作と確定したのは1920年のヘルマン・フォスによる。「斧槍兵の肖像」の題は、アメリカに渡った後の1922年に美術史家フランク・ジューエット・マザーが付けた。
意義
モデルについては二つの説がある。1959年にヘルベルト・コイトナーは、リッカルディ家の目録をもとに、1537年頃のフィレンツェ公コジモ1世の肖像とみた。これに対しフォスやルチアーノ・ベルティは、ヴァザーリが伝える、フィレンツェ包囲戦(1529〜1530年)のときポントルモが兵士の装いで描いたフランチェスコ・グアルディの肖像とみる。1514年生まれのフランチェスコ・グアルディの存在が見つかったことで、この説は有力になり、館も題に「フランチェスコ・グアルディ?」と添えている。ヴァザーリによれば、この肖像の覆いには、弟子のブロンズィーノがピグマリオンの物語を描いた。