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《バルトロメオ・パンチャティキの肖像》

Ritratto di Bartolomeo Panciatichi
《バルトロメオ・パンチャティキの肖像》アーニョロ・ブロンズィーノ
Wikimedia Commons / ウフィツィ美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
アーニョロ・ブロンズィーノ
制作年
1541–1545年
素材
板 / 油絵具
寸法
104 × 85 cm
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欄干に軽くもたれて立つ黒い帽子の男が、本と手袋を手に鋭いまなざしを向ける。背後には紋章を掲げた建物の並ぶ町並みが奥へと続き、右下には黒い子犬が顔を出す。

概要

《バルトロメオ・パンチャティキの肖像》は、フィレンツェの画家ブロンズィーノが1541年から1545年に描いた板絵の肖像画で、ウフィツィ美術館が所蔵する。館の記録では、板に油彩で描かれ、縦104センチ、横85センチ。所蔵番号は1890年目録の741番で、館のD14室(ブロンズィーノの部屋)に展示されている。館によれば、ブロンズィーノは本作を、妻ルクレツィアの肖像《ルクレツィア・パンチャティキの肖像》(1890年目録736番)とともに、すでにフィレンツェの第一級の画家としての地位を築いていた1540年代に描いた。

画面の読み解き

館の解説(アンナ・ビシェーリア)によれば、バルトロメオは立って、欄干に気軽にもたれている。欄干の向こうには町の眺めが見え、二つの斜めの線に沿って並ぶ建物の正面が互いに重なりながら奥へと流れ、中央でアーチのあいた正面の壁にさえぎられる。右手前の建物には、主人公とその高い身分を示す一族の紋章がはっきりと掲げられている。装いは豪華で、浮き模様の飾りのある黒い長い上着と、袖に小さな切れ込みを入れて下のシャツをのぞかせる、漆のような赤いサテンの胴着が対比をなす。服に合わせて柔らかな黒い帽子をかぶり、両手には本と手袋を持つ。面長のやせた顔は、鋭いまなざしと、一本一本描かれ、当時の習わしどおり二つの尖った房に整えられた赤いひげによって生気を帯びる。厳かで凍りついたような場面の空気を破るのは、右下に現れ、見る者に気づいて興味を示す黒いモロッソ犬の子犬だけである。

技法・様式

館によれば、ブロンズィーノは当時、明るく七宝のような絵肌と、ほとんど執拗なまでの描写の正確さ、そして肖像画でも宗教画や神話画でも人物の際立った優雅さで高く評価されていた。日本語版ウィキペディアは、1530年にメディチ家の専制が確立してフィレンツェが共和政の自由を失い、美術がコジモ1世とその後継者の保護のもとで国家事業のように展開したことが、ブロンズィーノの肖像画にはっきり表れていると述べる。モデルたちは貴族的で、感情を表さず、唇を固く閉ざしているという。

来歴

館によれば、バルトロメオ・パンチャティキは、フィレンツェに移り住んだピストイアの裕福な商人の一族に属し、父バルトロメオの庶子としてフランスで生まれた。リヨンとパドヴァで文学を学び、少年時代にはフランス王フランソワ1世の宮廷に出入りした。若いころ、ルターやカルヴァンの説教によってヨーロッパに広まっていた宗教改革の運動を知った。フィレンツェに戻るとルクレツィア・プッチと結婚し、外交官としてコジモ1世・デ・メディチの信任厚い側近となった。同館の《パンチャティキの聖家族》の解説によれば、バルトロメオはブロンズィーノの最も熱心な注文主の一人で、ヴァザーリは、画家が彼のために少なくとも5点の絵を描いたと伝えており、そのすべてがいまでは特定されている。

意義

館の妻の肖像の解説によれば、夫妻はリヨンに暮らした年月に異端とされた霊性の運動に近づき、のちにフィレンツェに戻ってから異端の嫌疑で裁かれた。館は、妻の肖像を、素描のこの上ない完成度と、手で触れられそうなほど写実的な細部の正確さによって、ブロンズィーノの円熟した様式が最もよく味わえる作品の一つとしている。日本語版ウィキペディアによれば、夫妻の肖像はヴァザーリに高く評価された。