
オッタヴィオ・レオーニ《カラヴァッジョの肖像》1621年頃、マルチェッリアーナ図書館
Wikimedia Commons / マルチェッリアーナ図書館 / Public domain- 生没年
- 1571–1610年
- 国籍
- ミラノ公国
- 様式
- イタリア・バロック絵画
カラヴァッジョ
1571年にミラノで生まれ、1610年にポルト・エルコレで没したイタリアの画家。闇を背景に強い光で人物を照らす手法と、理想化しない写実で、バロック絵画の出発点をつくった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1571年9月29日に生まれた。通称は、父フェルモが家令として仕えた侯爵の町カラヴァッジョに由来する。1584年からミラノでペテルツァーノに学び、1592年頃にローマへ出て、1595年頃にデル・モンテ枢機卿の庇護を得た。1599年にサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会の礼拝堂装飾を任され、ローマで最も注目される画家となった。喧嘩と訴訟が絶えず、1606年5月29日にラヌッチョ・トマッソーニを殺害して死刑を宣告され、ローマを逃れる。ナポリ、マルタ、シチリアを転々として大作を描き続けたが、恩赦を求めて北上する途中の1610年7月18日、熱病により没した。
様式の変遷
初期は《女占い師》などの半身像で、明るい光と精緻な質感を見せた。1600年前後の公共の注文を境に、テネブリズムへ進み、物語の一瞬を切り取る構図を確立する。下絵をほぼ用いずモデルを前に描いたとされ、汚れた足やしわを隠さない写実は注文主に拒まれた。逃亡後は画面がさらに暗く、人物は闇に孤立していく。
代表作
同教会の《聖マタイの召命》と《聖マタイの殉教》(1599〜1600年)、《聖ペテロの磔刑》と《聖パウロの回心》(1601年、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会)、《エマオの晩餐》(1601年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)、マルタの《執筆する聖ヒエロニムス》と《洗礼者聖ヨハネの斬首》。
影響
生前から追随者(カラヴァッジェスキ)が現れた。オラツィオ・ジェンティレスキと娘アルテミジアらを通じて画法は各地に広まる。ローマに学んだユトレヒトの画家たちはオランダ黄金時代の絵画へ、ナポリのリベーラはスペイン・バロック絵画へ明暗法を伝えた。18〜19世紀に評価を下げたが、20世紀にロンギらが再評価し、今日ではイタリア・バロック絵画の出発点とされる。