《ロレンツォ・チーボの肖像》
- 作者
- パルミジャニーノ
- 制作年
- 1523年
- 素材
- 板 / 油絵具
- 寸法
- 126.5 × 104.5 cm
- 所蔵
- デンマーク国立美術館
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- マニエリスム
羽根飾りの赤い帽子をかぶったひげの男が、背筋を伸ばして立ち、短剣を手に控えめなまなざしを向ける。脇では幼い少年が重い両手剣を支えて男を見上げ、背後には緑の葉が茂る。
概要
《ロレンツォ・チーボの肖像》は、パルマ出身の画家パルミジャニーノが描いた板絵の肖像画で、コペンハーゲンのデンマーク国立美術館が所蔵する。館の記録では、板に油彩で描かれ、縦126.5センチ、横104.5センチ(額を含めると縦152.8センチ、横131.6センチ)。所蔵番号はKMSsp73で、館の201B室に展示されている。館は制作年を1523年とする。画面の右下には、ラテン語で「マッサ侯にしてフェレンティッロ伯ロレンツォ・チーボ、1523年」という意味の銘がある。
画面の読み解き
館の解説(エヴァ・デ・ラ・フエンテ・ペーデルセン、2005年)によれば、パルミジャニーノは、まっすぐな姿勢と控えめなまなざしにどこか傲慢さを漂わせる金髪のイタリア人を、まさに生き生きと描き出している。男はくつろいだ姿勢で短剣を持ち、堂々とした両手剣を携えるが、その剣はあまりに重く、小さな少年がけなげに支えている。画面では、男は白い羽根を飾った赤い帽子をかぶり、黒い外套の下に赤紫の服を着る。少年は縞の衣を着て、剣を支えながら男を見上げ、背後には欄干の向こうに緑の葉が茂る。
技法・様式
館によれば、画面の下の武器と1523年という年は、おそらくロレンツォ・チーボが教皇の身辺を守る衛兵隊の隊長に任じられた年を指している。それでも職務のかたわら楽しみの時間もあったことを、さいころと賭けの札を置いた遊戯の卓が示しているという。館は、パルミジャニーノが37歳の若さで没したため作品の数は限られ、凸面鏡に映った顔を描いた小さな自画像が最もよく知られ、マニエリスムの様式の要とみなされていると説明する。
来歴
館の記録では、本作は1763年5月18日に館の収集に入った。英語版ウィキペディアによれば、本作は1749年には枢機卿シルヴィオ・ヴァレンティ・ゴンザーガの収集にあり、その収集の絵を描いたジョヴァンニ・パオロ・パンニーニの作品にも描き込まれている。収集は1763年にアムステルダムでまとめて売りに出され、そのときデンマークに渡った。同じ記事によれば、複数の模写が知られている。館の記録では、2003年にパルマとウィーンで開かれた「パルミジャニーノとヨーロッパのマニエリスム」展などに出品された。
意義
館は、ジョルジョ・ヴァザーリの言葉を引いている。ヴァザーリによれば、スイス衛兵の隊長でたいへんな美男子だったロレンツォ・チーボは、パルミジャニーノの名声を聞いて肖像を描かせた。画家は彼を描いたというより、肉と血で作り上げたと言えるほどだったという。英語版ウィキペディアは、ロレンツォを枢機卿インノチェンツォ・チーボの弟とし、ヴァザーリが本作をパルミジャニーノのローマ滞在中の作に数えていることから、銘の1523年は後から書き加えた人の誤りとみるのが一般的で、画家がまだエミリアにいた時期にあたるため、制作は1524年とされると説明する。