- 生没年
- 1489–1534年
- 国籍
- 教皇領(パルマ)
- 様式
- 盛期ルネサンス
コレッジョ
1489年頃に北イタリアの町コレッジョに生まれ、1534年に没した画家。パルマの聖堂の円蓋画と、光を劇的に用いた祭壇画で知られ、のちのバロック絵画を先取りした。
略歴BIOGRAPHY
生涯
本名はアントニオ・アッレグリ。プラド美術館の百科事典(デイヴィッド・エクセルジャン執筆)によれば、北イタリアの小さな町コレッジョに生まれたとみられ、マントヴァで、おそらくマンテーニャのもとで修業した。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、北方の版画やマンテーニャ、ロレンツォ・コスタ、ミラノにいたレオナルド、ヴェネツィア絵画の影響を指摘する。1510年代の終わりにはローマを訪れ、ミケランジェロとラファエロに学んだとみられる。パルマでは、「カメラ・ディ・サン・パオロ」(1519年頃)、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂の円蓋と後陣(1520〜1524年)、大聖堂の円蓋(1523年注文、1530年完成)のフレスコ画を手がけた。晩年には、マントヴァのフェデリーコ・ゴンザーガの注文で、皇帝カール5世に贈る《ユピテルの愛》の連作4点を描き、1534年に没した。
様式
ドレスデン国立美術館は、光の革新的な使い方、明るく生き生きとした人物、宗教と官能の主題の独創的な解釈で名高い画家とし、神的なものを人間らしい姿で描く力を強調する。州文化財団によれば、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアといった大きな美術の中心地では一度も活動しなかった。プラドの百科事典は、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂の人物が、それまでよりはるかに記念碑的で英雄的になったとする。
代表作
パルマの2つの聖堂の円蓋画、《羊飼いの礼拝》(1528〜1530年頃、アルテ・マイスター絵画館)、《ノリ・メ・タンゲレ》(プラド美術館)、《ユピテルの愛》の連作(《ユピテルとイオ》ほか)が知られる。州文化財団によれば、現存する絵画は60点ほどである。
影響
プラドの百科事典によれば、円熟期の円蓋画と祭壇画はバロックを先取りし、17世紀の絵画に深い影響を与えた。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、錯視を用いた天井装飾の先駆者とし、パルミジャニーノに大きな影響を与えたとする。ドレスデン国立美術館は、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロと並ぶルネサンスの最も重要な芸術家の一人に数える。州文化財団によれば、同時代に描かれた肖像は一点も伝わっていない。