- 時期
- 1886–1910年
象徴主義
19世紀末のヨーロッパで、目に見える現実の再現よりも、夢や神話、魂や死といった目に見えないものを、暗示的な形と色で表そうとした芸術運動。詩から始まり、絵画ではフランスとベルギーを中心に広がった。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
象徴主義は、1886年9月18日に詩人ジャン・モレアスが『フィガロ』紙に発表した「象徴主義宣言」を名の由来とする。ボードレールやマラルメの詩が先駆けとなり、目に見える世界の背後にある観念や感情を、直接には述べず象徴によって暗示することをめざした。写実主義や自然主義、光の印象を追う印象派への反発から生まれ、1880年代から1900年頃にかけて、文学・音楽・絵画にまたがる動きとなった。批評家アルベール・オーリエは1891年、ポール・ゴーギャンを絵画における象徴主義の代表として論じている。
造形上の特徴
主題には神話や聖書、伝説、夢、死、そして男を破滅に導く「運命の女(ファム・ファタル)」が好まれた。画面は輪郭を単純にし、平らな色面や装飾的な線、金や宝石を思わせる質感によって、現実から距離を取る。物語を説明するより、見る者の内に気分や連想を呼び起こすことが重んじられた。技法は画家によって大きく異なり、アカデミックな細密描写を用いる者もいれば、クロワゾニスムのような平面的な描き方を取る者もいた。
代表画家と代表作
フランスではギュスターヴ・モローが神話と聖書の場面を宝石のような細部で描き、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌは淡い色の静かな壁画で理想の世界を示した。オディロン・ルドンは木炭の素描と版画で夢の中の生き物を描いた。ゴーギャンの《説教のあとの幻影》(1888年)は、信仰の幻を赤い平面に置き、絵画の象徴主義の出発点とされる。ベルギーのフェルナン・クノップフ、スイスのアルノルト・ベックリン、ノルウェーのエドヴァルド・ムンク、ロシアのミハイル・ヴルーベリも同じ流れに連なり、ムンクの《吸血鬼》(1893年)は愛と死を一つの抱擁に重ねた。ウィーンのグスタフ・クリムトは《ユディトI》(1901年)で、金地の装飾と運命の女の主題を結びつけ、《死と生》(1910〜1916年)では、骸骨の姿の死と、眠るように寄り添う人々の群れを向かい合わせた。
前後の流派との関係
英国のラファエル前派や唯美主義とは、美と内面を重んじる点で響き合う。ポスト印象派のうちゴーギャンやナビ派とは重なり合い、世紀末のアール・ヌーヴォーとは装飾性を共有した。20世紀に入ると、内面を強い色と形で表す表現主義や、夢と無意識を描くシュルレアリスムが、その問いを受け継いでいく。