《白鳥の王女》
夕暮れの海を背に、白い羽に包まれた王女が肩越しにこちらを振り返る。宝石をちりばめた冠と薄いヴェールをまとい、大きな目で見つめるその姿は、白鳥から乙女へと変わろうとする瞬間にある。
概要
《白鳥の王女》(露: Царевна-Лебедь)は、ロシアの画家ミハイル・ヴルーベリが1900年に描いた油彩画である。縦142.5センチ、横93.5センチ。プーシキンの物語詩『サルタン王の物語』に登場し、白鳥から乙女へと姿を変える王女を描く。リムスキー=コルサコフの同名のオペラの舞台美術に取り組んでいた時期の作で、モスクワのトレチャコフ美術館が所蔵する。
画面の読み解き
夕暮れの海を背に、白い羽に包まれた王女が肩越しにこちらを振り返る。宝石をちりばめた冠をかぶり、薄いヴェールを左手で押さえる。大きく広がる翼が画面の大半を占め、左上の遠くには赤く光る塔の並ぶ町が見える。館の解説によれば、王女の神秘的で表情豊かな目には、画家がキエフの聖キリル教会で聖人を描いた頃から追い求めた、強い精神性をたたえた眼差しが表れている。翼は色調の対比をもつリズミカルな筆触で描かれ、人物のまわりに光の輪をつくる。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。館の雑誌『トレチャコフ美術館』に載ったヴェラ・ボドゥノワの論文(2021年)によれば、画家は1900年4月初め、マモントフの私設オペラのキエフ巡業から戻ってすぐに制作にかかり、短い期間で仕上げた。松の梢に当たる夕日の最後の光は自然を見つめて描かれた一方、王女の顔と姿は特定のモデルを写さず、いくつもの像を合わせて作られた。王女役を歌った妻ナジェージダ・ザベラの肖像画とみる見方もあるが、論文ははっきりした似姿は認めにくいとする。ヴェールを押さえる手の仕草は、王女役のザベラの写真に通じ、ロシアの民俗舞踊の型や、古代ローマの貞節の女神プディキティアの像の型にもつながるという。前年の1899年、画家はテニシェワ公爵夫人の注文で絵付けしたバラライカに、湖の青い靄から泳ぎ出る白鳥の王女をすでに描いていた。
来歴
論文によれば、ザベラは1900年4月19日の妹への手紙で、夫がこの絵を収集家ミハイル・モロゾフに300ルーブルで売ったと嘆いている。画家は500ルーブルを求めたが、値切られてすぐに応じたという。同じ年の夏、画家はチェルニゴフ県のプリスキ村で、後援者フォン・メック男爵のために2点目を描いた。館の解説によれば、本作は1901年の「36人の画家」展で初めて公開された。館の解説は1910年に遺言によって館に入ったとし、館の作品データは「M・K・モロゾワの寄贈(M・A・モロゾフとM・K・モロゾワのコレクション)、1917年」とする。所蔵番号はЖ-42。
意義
論文によれば、オペラは1900年10月21日に初演されて大成功を収め、ヴルーベリの下絵による舞台装置と衣装は最も熱い称賛を受けた。これが、画家がリムスキー=コルサコフのオペラに関わった最後の仕事となった。ロシア美術館の「ヴァーチャル・ロシア美術館」が引く美術史家ウラジーミル・クルグロフの論考(2022年)は、本作を同じ年の《ライラック》とともに、物憂げな美しさの像として象徴主義の代表例に挙げ、プーシキンの物語とリムスキー=コルサコフのオペラの印象が溶け合った作品とみる。2019年、オスロのムンク美術館がトレチャコフ美術館と組んで開いたロシア美術展は、本作から「白鳥の王女」の名をとった。