《傷ついた天使》
枯れ草の残る入り江のほとりを、二人の少年が担架を担いで歩いていく。担架に腰かけているのは、目隠しをされ、翼から血を流した白い衣の天使で、その手には白い小さな花が握られている。
概要
《傷ついた天使》(フィンランド語: Haavoittunut enkeli)は、フィンランドの画家ヒューゴ・シンベリが1903年に描いた油彩画である。縦127センチ、横154センチのキャンバスで、ヘルシンキのアテネウム美術館が所蔵する。二人の少年が、目隠しをされ、翼に傷を負った天使を担架に乗せて運んでいく。何が起きたのかは描かれず、画家は題名さえ付けずに発表した。2006年に所蔵館が行った投票では、所蔵品のなかで最も愛される一点に選ばれた。
画面の読み解き
左の少年は黒い服に黒い帽子をかぶり、うつむいて歩く。右の少年は茶色の上着を着て、振り向くように見る人をまっすぐ見つめる。二人が担ぐ2本の棒の上に、白い衣の金髪の天使が腰かけている。目は白い布で覆われ、翼には赤い傷が見え、裸足の足は宙に浮く。右手には白い小さな花の束を握る。背後には枯れ草の岸と入り江が広がり、右奥には小川が流れ込む。フィンランド国立美術館の資料をもとにした解説サイト『ヒューゴ・シンベリのもう一つの世界』(文: アンヤ・オラヴィネン)によれば、舞台は実在の場所で、ヘルシンキのエラインタルハ公園、トーロ湾の北の端である。湾に注ぐ小川のあたりは子どもたちの遊び場で、春には水遊びの場になった。小川の流れは変わったが、湾沿いの小道は今も残る。
技法・様式
所蔵館の目録によれば、シンベリは1902年の春、ヘルシンキのアトリエで準備に取りかかり、完成作と同じ姿勢をとらせたモデルを写真に撮った。同年11月に病に倒れ、およそ半年を病院で過ごしている。同サイトによれば、初期の素描では、天使は小さな悪魔たちに荷車で押されていた。X線調査では、見慣れた画面の下に、天使の髪がもっと暗く濡れていて、湾に小さな手こぎ舟が浮かぶ最初の構想が見つかっており、制作途中に画家が撮った写真にもその姿が残る(ペンティメント)。天使のモデルは何人かいて、その一人は赤褐色の髪の若い女性だった。画家は1903年の夏、一家の夏の家ニエメンラウッタで絵を仕上げたが、天使が金髪の少女に変わった最後の段階については、素描も写真も書き残したものもなく、モデルが誰だったかはわかっていない。
来歴
所蔵館の目録によれば、本作は1903年10月11日から12月8日までアテネウムで開かれた第13回フィンランド芸術家展に出品された。同サイトによれば、このとき題名の欄にはダッシュが記されているだけだった。開幕前の10月4日、画家は妹ブレンダへの手紙で、厳しい審査を通ったことを喜び、師の画家アクセリ・ガッレン=カッレラがこの大きな絵に夢中になったと伝えている。ガッレン=カッレラは、深い森の小屋にこもり、世の中にかまわず描いたような印象を受けると言い、展覧会のどの作品にもない静けさと調和があると評した。翌1904年5月、画家は旅先のフィレンツェから父に宛てて、カフェで偶然会った作家ユハニ・アホが読んでいた新聞で、本作に国の賞が与えられたことを知ったと書き送っている。所蔵館の目録によれば、1928年12月14日に購入され、アールストレム・コレクションに属する。
意義
同サイトによれば、題名の代わりのダッシュは、正しい解釈は一つではなく、見る人がそれぞれに意味をつくるという画家の意思表示だった。百科事典『ウップスラグスヴェルケット・フィンランド』によれば、シンベリは1905年、画家マグヌス・エンケルとともにタンペレの聖ヨハネ教会の装飾を任され、本作をフレスコでも描いた。同サイトによれば1906年の作で、工業都市のための版には煙突が描き加えられている。タンペレの教区の公式サイトによれば、教会は1923年に今の大聖堂の名となり、フレスコは南の階上席の奥の壁にある。フィンランドの公共放送 Yle(2006年12月)によれば、アテネウム美術館が2006年秋、所蔵品から最も愛する作品を選んでもらう投票「わが国の絵」を行うと、6週間で1万人近くが参加し、本作が1360票で1位となった。