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《死と生》

Tod und Leben
《死と生》グスタフ・クリムト
Wikimedia Commons / レオポルド美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
グスタフ・クリムト
制作年
1910–1916年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
180.8 × 200.6 cm
時代
20世紀

左に、黒い十字を散らした青い衣の骸骨が小さな棍棒を構えて立つ。右には、母と赤子、恋人たち、老女らが色とりどりの文様にくるまれて寄り添い、目を閉じて眠るなか、一人の娘だけが目を見開いている。

概要

《死と生》(独: Tod und Leben)は、オーストリアの画家グスタフ・クリムトが1910年から1911年にかけて描き、1912〜1913年と1915〜1916年に描き直した油彩画である。縦180.8センチ、横200.6センチのキャンバスで、ウィーンのレオポルド美術館が所蔵する。所蔵館によれば、現存する画家の絵で2番目に大きく、人の一生のめぐりを大胆な構図で主題とした、画家の大きな寓意画の一つである。紙の上の最初の素描は1908年から始まり、油彩の制作には1910年、48歳のときに取りかかった。

画面の読み解き

所蔵館によれば、死は画面の左にただ一人、黒い十字を散らした衣をまとう、背の曲がった骸骨として描かれる。向かい合う右側では、人の一生の段階が、色とりどりの文様に飾られた一つの楕円の塊に溶け合い、恋人たち、赤子を抱く母、老女が含まれる。塊の上方では母が赤子を抱いて眠り、中ほどには青い頭巾の老女、下には日に焼けた背を見せる男が女を抱きしめる。暗い灰緑色の背景の中で、左の死と右の群れのあいだには大きな間が開いている。死は意地の悪い笑みを浮かべ、赤い小さな棍棒を振り上げて待ち伏せる。その視線の先には、塊の左端で目を大きく見開き、おびえたように両手を胸もとに寄せる娘がいる。ほかの人々は夢のような宙づりの状態で目を閉じ、避けられないものに気づかない。右下には「GUSTAV KLIMT」の署名がある。

技法・様式

所蔵館によれば、画家は大きな成功にもかかわらずこの絵に生涯満足せず、たびたび手を入れた。いまも同館で見られる元の額に残る絵具の跡が、その証しである。1915年には、理由はわかっていないが、根本からの描き直しを決めた。最初の版の死は、光輪をいただき頭蓋を垂れて、威厳をもって内にこもっていた。最後の版では、もとはおそらく金色だった背景が灰色になり、青い文様の衣に包まれた死は動きを帯び、明るい色で描かれた生の側には、人物と文様がさらに描き加えられた。所蔵館はこの絵の流派を象徴主義とユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)とする。額はヨーゼフ・ホフマンが手がけた。

来歴

所蔵館によれば、本作は1911年のローマ国際美術展で、はじめは《死》の題で公開され、クリムトは金メダルを受けた。1912年のドレスデンでは《死と愛》の題で、以後は《死と生》としてブダペスト、マンハイム、プラハ、ベルリン、ストックホルム、コペンハーゲンを巡った。1918年の画家の没後、遺産から、実業家の家に生まれた画家ハンス・ベーラーの手に渡った。1943年にはクリムトの回顧展のために、当時のオーストリア・ギャラリー(現在のベルヴェデーレ美術館)が預かり、その後は市の収集の疎開先に移されて、戦後に持ち主へ戻ったとみられる。その後マリエッタ・プレロイトナーが所有し、1978年にルドルフ・レオポルドが買い取って、1994年に美術館の財団に入った。所蔵番号は630。来歴を調べた連邦の審議会は2016年、国の所有物であったとしても返還法の要件には当たらないと、全会一致で結論している。

意義

所蔵館は本作を、クリムトの晩年の中心となる作品とする。2022年11月15日には、気候保護を訴える団体「最後の世代」の活動家2人が、本作に黒い液体を浴びせ、一人がガラスに手を接着した。美術館によれば、絵と額には損傷がなかったが、保護ガラスと枠、壁や床には大きな被害が出た。館長ハンス=ペーター・ヴィプリンガーは、活動家の訴えは正当だが、美術品への攻撃は誤った方法だと述べた。