《死の庭園》
板で囲った花壇の並ぶ庭で、黒いマントの骸骨たちが鉢植えの草花を世話する。左の一人はじょうろで水をやりながら歩き、中央の一人は青い花を両手で包んでこちらにほほえむ。奥ではもう一人が背を向けて働く。
概要
《死の庭園》(フィンランド語: Kuoleman puutarha)は、フィンランドの画家ヒューゴ・シンベリが1896年に描いた絵である。縦15.8センチ、横17.5センチの紙に水彩とグワッシュで描かれ、アテネウム美術館が所蔵する。黒い衣の骸骨たちが草花を世話する、死をめぐる寓意画で、画家はのちに同じ図を版画やタンペレ大聖堂のフレスコでも描いた。
画面の読み解き
館の資料をもとにした解説サイト『ヒューゴ・シンベリのもう一つの世界』によれば、画面には黒い衣をまとった骸骨の姿の者たちがいて、奇妙なやせた花を優しく世話している。シンベリ自身の説明では、死の庭は魂が天国に迎えられる前に向かう場所で、草花は、ささやかな姿で行く末を待つ人間の魂を表す。手前の死は見る者を迷路のような庭に迎え入れる。そこは必ず立ち寄らねばならない場所で、ほかに通り抜ける道はない。奥には道が遠くへ続く。じょうろや、掛け具に掛かった手ぬぐいが、場面のありふれた日常の感じを強めている。画面では、左の骸骨がじょうろで水をやりながら歩き、中央の骸骨は青い花を両手で包むように抱いて笑みを浮かべ、奥の一人は背を向けて作業している。
技法・様式
紙に水彩とグワッシュで描かれる。同サイトによれば、骸骨の姿は、この最初の作品の時点ですでに完成しており、短い黒いマントと半ズボンという姿は、その後も変わらなかった。シンベリは、いつものように同じ図をさまざまな技法で繰り返し、水彩とグワッシュの本作のほか、版画や素描、テンペラ、そしてタンペレ大聖堂のフレスコを作った。館は1897年のエッチングの版も所蔵している。右下には「H Simberg Paris 1896」の署名と年記がある。その姿を象ったブロンズのドア・ノッカーまで作ったが、音が大きすぎて住む人を悩ませ、外されたという。
来歴
同サイトによれば、シンベリは1896年の夏、ロンドンを経てパリへ初めての外国旅行に出た。昼は私立の画塾で描き、午後は美術館や画廊をめぐって画家たちと会ったが、その経験はほとんど作品に表れず、別のことに心を奪われていた。本作を着想したのは、このパリ旅行の間だった。館の記録によれば、本作は1913年2月1日に購入され、フィンランド国が所有する。所蔵番号はA II 968:16。2024年から2025年にはアテネウムの展覧会「ゴシック・モダン」に出品された。
意義
同サイトは、草花を世話するシンベリの優しい死は恐ろしいものではなく、避けがたく痛みを伴う務めを与えられているだけだとする。百科事典『ウップスラグスヴェルケット・フィンランド』によれば、死の想いは画家の絵に繰り返し現れる主題で、1905年に任されたタンペレの聖ヨハネ教会(現在の大聖堂)の装飾では、本作の図によるフレスコを《傷ついた天使》とともに描いた。