- 時期
- 1890–1910年
- 地域
- フランス・ベルギー・オーストリアほかヨーロッパ各国
アール・ヌーヴォー
19世紀末から20世紀初めにかけてヨーロッパ各地に広がった装飾様式。植物のうねりに学んだ曲線と左右非対称の構図を特徴とし、建築、家具、ガラス、ポスター、絵画までを一続きのものとして設計した。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
名は、美術商ジークフリート・ビングが1895年にパリで開いた店「メゾン・ド・ラール・ヌーヴォー(新しい美術の家)」に由来する。19世紀の美術と建築が過去の様式を組み替えることに終始していたのに対し、産業化の進んだ時代にふさわしい新しい形を、歴史ではなく自然から取り出そうとした。国ごとに呼び名が異なり、ドイツでは雑誌名からユーゲントシュティール、オーストリアではゼツェッシオンスシュティール、スペインではモデルニスモ、イタリアでは店名からスティーレ・リバティと呼ばれる。1900年のパリ万国博覧会で頂点に達した。
造形上の特徴
茎やつる、髪の流れを思わせる長い曲線が画面と器物を貫く。左右対称を避け、輪郭は途切れずに次の形へつながっていく。植物や昆虫、長い髪の女性像が繰り返し用いられ、平らな色面と輪郭線という扱いにはジャポニスムの影響が濃い。建築、家具、照明、ガラス、装丁、ポスターまでを同じ手で設計し、空間全体を一つの作品とする総合芸術の理想が掲げられた。鉄とガラスという新しい材料が、その曲線を実際に支えている。
代表画家と代表作
建築ではヴィクトール・オルタのタッセル邸(ブリュッセル、1892〜1893年)と、エクトール・ギマールのパリ地下鉄入口(1900年)がよく知られる。版画とポスターではアルフォンス・ミュシャがサラ・ベルナールのための一枚(1895年)で名を得た。ガラスではエミール・ガレとルイス・カムフォート・ティファニーが腕を競う。絵画ではグスタフ・クリムトが中心にあり、《ユディトI》(1901年)や《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》(1907年)のように金箔と装飾文様で画面を組み立てた。《死と生》(1910〜1916年)では、描き直しの際に、もとはおそらく金色だった背景を灰色に変えている。最晩年の《扇を持つ女》(1917〜1918年)では金が退き、中国と日本の文様が背景を埋めている。
前後の流派との関係
唯美主義やアーツ・アンド・クラフツ運動が唱えた、生活と美術を切り離さないという考えを受け継いでいる。ウィーンでは1897年、歴史主義に固執する画壇に反発してクリムトらが分離派を結成し、ヨーゼフ・マリア・オルブリヒ設計の会館を拠点とした。第一次世界大戦を境に曲線への熱は冷め、1920年代には直線と幾何学を旨とするアール・デコとモダニズムに取って代わられる。再評価が始まるのは1960年代末である。