
Anders Beer Wilse 撮影の肖像写真、1933年
Wikimedia Commons / ノルウェー国立図書館 / Public domain- 生没年
- 1863–1944年
- 国籍
- ノルウェー
エドヴァルド・ムンク
1863年にノルウェーのローテンで生まれ、1944年にオスロで没した画家。幼い日に母と姉を亡くした体験を出発点に、愛と死と不安を単純化した形と色で描き、表現主義の先駆となった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1863年12月12日、ノルウェー南東部ローテンのオーダルスブルクに生まれた。5歳で母を、13歳で姉ソフィーを結核で失う。1881年からクリスチャニア(現オスロ)の王立美術工芸学校で学び、クリスチャン・クローグらに師事するとともに、作家ハンス・イェーゲルを中心とするボヘミアンの輪に加わった。1889年に国の奨学金を得てパリへ出て、レオン・ボナに学ぶ。1892年、ベルリン芸術家協会に招かれて開いた個展は激しい論争を呼び、1週間で閉じられた。以後4年をベルリンで過ごし、愛と死をめぐる連作「生命のフリーズ」を構想する。1908年秋、コペンハーゲンのダニエル・ヤコブソン医師のもとで8か月の療養に入り、翌年ノルウェーに戻った。1914年から1916年にかけてオスロ大学講堂の壁画を制作し、1944年1月23日にオスロで没した。
様式の変遷
初期は写実的な室内画や肖像を描いたが、亡き姉の記憶にもとづく《病める子》(1885〜1886年)では、絵肌を削り重ねる描き方で批判を浴びた。パリで印象派やポスト印象派、総合主義に触れてからは、形を単純化し、うねる線と平らな色面で感情そのものを表すようになる。1890年代の《叫び》《マドンナ》《吸血鬼》などは「生命のフリーズ」にまとめられ、同じ主題を油彩、パステル、版画で繰り返した。版画ではリトグラフと木版に多くの工夫を残している。晩年は明るい色と大きな筆の風景や自画像へ向かった。
代表作
《病める子》(1885〜1886年、オスロ国立美術館)、《叫び》(1893年、同)、《吸血鬼》(1893年、ムンク美術館)、《マドンナ》(1894年頃)、《思春期》(1894〜1895年、オスロ国立美術館)、オスロ大学講堂の壁画《太陽》(1911〜1916年)が知られる。
影響
単純化した形と強い色で内面を描く方法は、ドイツのブリュッケをはじめ表現主義の画家たちに受け継がれた。1937年にはナチスによって、ドイツの美術館から82点が退廃芸術として押収されている。遺言によって手もとの作品をオスロ市に遺し、それをもとに1963年、ムンク美術館が開館した。