《座るデーモン》
夕焼けの空を背に、上半身をあらわにした若い巨人が膝を抱えて座り込む。指を組んだ両手に力がこもり、頭は画面の上端に触れんばかりである。右には、宝石の結晶のように砕けた巨大な花々が光る。
概要
《座るデーモン》(露: Демон (сидящий))は、ロシアの画家ミハイル・ヴルーベリが1890年に描いた油彩画である。縦116.5センチ、横213.8センチのキャンバスで、モスクワのトレチャコフ美術館が所蔵する。ミハイル・レールモントフの長編詩『デーモン』に取材し、画家が生涯描き続けたデーモンの連作の最初の大作となった。所蔵館の雑誌『ラヴルス』は、ロシア象徴主義の要となる作品とする。
画面の読み解き
横に長い画面の中央に、黒い巻き毛の若者が、膝を抱えて岩の上に座る。たくましい上半身はあらわで、脚は青い布に覆われ、両手の指は膝の前で固く組まれる。顔は左の夕焼けのほうへ向けられ、物思いに沈む。左の空は赤く燃え、地平近くに金色の光が細く走る。右には、灰色や桃色、紫の巨大な花々が、砕けた結晶の群れのように重なる。『ラヴルス』によれば、画家は1890年5月22日の妹への手紙で、ひと月ほど前からデーモンを描いていると記し、「半ば裸の、翼のある、若い、物憂げに考え込んだ姿が、膝を抱えて夕焼けを背に座り、花咲く野を見つめ、そこから花の重みでしなう枝が差し伸べられる」と書いた。所蔵館によれば、同じ年の水彩の下絵ではこの構想どおりだったが、完成作では風景が具体性を失い、デーモンは翼をなくした。『ラヴルス』は、頭が上端で断ち切られるほど上下を詰めた構図が、デーモンの内なる不自由を表すとし、ミケランジェロの影響をみている。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。所蔵館によれば、画家は形を面に砕いて「結晶化」させ、半ば透きとおらせて光で満たした。パレットナイフと太い筆で厚く置いたインパストの筆触が、花々を巨大な結晶の群れに変え、色ガラスのモザイクのようにきらめかせる。『ラヴルス』によれば、この手法には、キエフの聖ソフィア大聖堂の丸天井で、モザイクをまねて大天使像を補修した経験が生きている。画家は少年のころ、学校のチョークで結晶の模型を作っていたともいう。
来歴
所蔵館によれば、主題はレールモントフの詩と、1885年にキエフで観たアントン・ルビンシテインのオペラ《デーモン》の印象から生まれた。『ラヴルス』によれば、1889年にモスクワへ移った画家は、収集家サーヴァ・マモントフの周りに加わり、1890年、そのモスクワの屋敷で本作を描いた。完成した絵は、マモントフの周辺でも技法が粗く、姿が恐ろしいと受け取られ、画家の父は、デーモンの顔に意地悪な年配の女を見た。のちに収集家ウラジーミル・ギルシュマンが手に入れ、1917年に所蔵館に入った。所蔵番号は5600。
意義
『ラヴルス』によれば、画家は1886年に父へ、デーモンは「悪意に満ちた霊というより、苦しみ悲しむ霊であり、それでいて力強く、堂々とした霊」だと語った。ギリシャ語の「ダイモーン」が魂を意味することから、悪魔とは区別していた。本作はデーモンの連作の始まりで、1891年のレールモントフ作品集の挿絵、1899年の《飛ぶデーモン》(ロシア美術館)、1901〜1902年の《打倒されたデーモン》(トレチャコフ美術館)へと続く。所蔵館によれば、詩人アレクサンドル・ブロークは1910年、画家の追悼式での言葉で、画家を「使者」と呼んだ。