
《貝殻のある自画像》1904〜1905年、ロシア美術館
Wikimedia Commons / ロシア美術館 / Public domain- 生没年
- 1856–1910年
- 国籍
- ロシア
- 様式
- 象徴主義・アール・ヌーヴォー
ミハイル・ヴルーベリ
ロシア象徴主義を代表する画家。結晶やモザイクのように砕けた筆触で、レールモントフの詩の「デーモン」を生涯の主題とした。壁画や陶芸、舞台美術も手がけた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
サンクトペテルブルク大学の人物事典によれば、1856年、シベリアのオムスクに軍人の子として生まれ、父の任地に従って各地で育った。1874年にペテルブルク大学の法学部に入り、1880年に卒業したのち、帝室美術アカデミーでパーヴェル・チスチャコフに学んだ。1884年、アカデミーを終えずにキエフへ移り、聖キリル教会の壁画を手がけた。トレチャコフ美術館の雑誌『ラヴルス』によれば、このころ聖ソフィア大聖堂の大天使像も補修し、ヴェネツィアとラヴェンナでビザンティンのモザイクを学んだ。1889年にモスクワへ移り、収集家サーヴァ・マモントフの庇護を受ける。1896年にはニジニ・ノヴゴロドの博覧会で審査員に退けられた装飾画を、マモントフが建てた別館で公開した。妻はオペラ歌手ナジェージダ・ザベラである。1903年に幼い息子を亡くし、精神の病が進んだ。1905年に美術アカデミーのアカデミー会員の称号を受けたが、日本語版ウィキペディアによれば1906年に視力を失って制作をやめ、1910年、サンクトペテルブルクで没した。
様式
『ラヴルス』によれば、チスチャコフの教室から受け継いだ、自然を深く見つめる態度と、幻を見るような想像力が結びついている。キエフでモザイクを学んだ経験から、形を面に砕き、モザイクのように筆触を積む「結晶」のような画面が生まれた。壁画や陶芸、舞台装置も手がけ、一つの形を作品から作品へと変えながら引き継いだ。
代表作
《座るデーモン》(1890年、トレチャコフ美術館)、《飛ぶデーモン》(1899年、ロシア美術館)、《白鳥の王女》と《ライラック》(ともに1900年)、《打倒されたデーモン》(1901〜1902年)、《真珠貝》(1904年。いずれもトレチャコフ美術館)が知られる。
影響
『ラヴルス』によれば、神話や詩に根ざした画家の想像力は、象徴主義の画家たちに大きな影響を与え、銀の時代の詩人たちを刺激した。詩人アレクサンドル・ブロークは画家を「使者」と呼び、歌手フョードル・シャリャーピンは、オペラ《デーモン》の役作りについて「私のデーモンはヴルーベリから」と語った。