
《自画像》(1907年、アテネウム美術館)
Wikimedia Commons / アテネウム美術館 / Public domain- 生没年
- 1873–1917年
- 国籍
- フィンランド
- 様式
- 象徴主義
ヒューゴ・シンベリ
1873年にフィンランドのハミナで生まれ、1917年にエフタリで没した画家、版画家。死の想いを主題に古風な象徴主義の画面を描き、《傷ついた天使》で知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
フィンランド国立美術館の目録によれば、1873年6月24日にハミナで生まれた。解説サイト『ヒューゴ・シンベリのもう一つの世界』によれば、大佐ニクラス・シンベリの家に双子の兄弟パウルとともに生まれ、大家族のなかで育った。百科事典『ウップスラグスヴェルケット・フィンランド』によれば、1893年から1895年までフィンランド芸術協会の素描学校で学び、のちにルオヴェシで画家アクセリ・ガッレン=カッレラに師事した。目録に収められた父への手紙によれば、1904年にはマドリードからフィレンツェへ旅し、フレスコを見て回っている。同事典によれば、1905年、画家マグヌス・エンケルとともにタンペレの聖ヨハネ教会(現在の大聖堂)の装飾を任され、1907年からは母校の素描学校で教えた。同サイトによれば36歳で結婚し、1917年7月12日、夏を過ごしていたエフタリで44歳で急逝した。
様式の変遷
同事典によれば、ハメ地方の内陸の風景に深く心を動かされ、そこに自分の憂いを帯びた物静かな気質にかなう雰囲気を見いだした。死の想いは絵の主題として繰り返し現れ、その画面は象徴主義の古風な様式を特徴とする。一方で写実的な絵も描き、同時代にはそちらのほうが評価された。《おば》(1898年)などの肖像、情感のこもった風景、《じゃがいもの娘》(1901年)などの風俗画がある。同サイトは、気分の浮き沈みの激しい繊細な人だったが、いつもユーモアを忘れなかったと伝える。
代表作
《傷ついた天使》(1903年、アテネウム美術館)がある。同事典によれば、タンペレの聖ヨハネ教会では、階上席の手すりを巡る《生命の花輪を担う少年たち》(1906年)と、画家らしい骸骨の男たちが登場する《死の庭園》、《傷ついた天使》をフレスコで描いた。
影響
同美術館の目録によれば、没後の1919年4月、アテネウムで記念展が開かれた。同サイトによれば、そのころにはシンベリの重要性は広く認められ、中世や初期ルネサンスの画家との近さが指摘された。同サイトが引くように、画家で批評家のシグリッド・シャウマンは1936年、当代で最も独特な画家の一人で、その才能はほかのどの画家とも違うと書いた。