- 時期
- 1870–1923年
- 地域
- ロシア帝国
- 時代
- 写実・印象派
移動派
1870年、帝国美術アカデミーの束縛を離れたロシアの画家たちが結成した移動展覧会協会とその画家たち。展覧会を各地の都市に巡回させ、農民や庶民の暮らし、ロシアの歴史と風景を力強い写実で描いた。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
移動派は、1870年にペテルブルクで結成された「移動展覧会協会」に集ったロシアの画家たちを指す。発端は1863年、帝国美術アカデミーの金メダル競作で神話の主題を課されたことに反発し、イワン・クラムスコイら14人の学生がアカデミーを去った「14人の反乱」である。彼らの協同組合を受け継いで生まれた協会は、国家の後ろ盾に頼らず、1871年から1923年まで48回の展覧会を開き、ペテルブルクとモスクワから地方の都市へと作品を巡回させた。1861年の農奴解放を経た社会の変化と、芸術は社会に奉仕すべきだとする批評家たちの考えが背景にあり、収集家パーヴェル・トレチャコフが作品を買い支えた。
造形上の特徴
主題は、農民や都市の庶民の暮らし、社会の不正や貧困、ロシアの歴史、そして広大なロシアの自然である。人物は理想化されず、表情や身ぶりで性格と境遇が語られる。1870〜1880年代の最盛期には、アカデミーの暗い色調に代わって明るい色と自由な筆致が取り入れられた。白樺の林や春の雪解け、果てしない平原を描く風景画も、この流派の重要な分野である。同時代の生活を描く物語性、心理を読み取らせる人物描写、ロシアの土地に根ざした主題が見分ける手がかりになる。
代表画家と代表作
クラムスコイは《荒野のキリスト》(1872年)で、アレクセイ・サヴラーソフは雪解けの村を描いた《ミヤマガラスの飛来》(1871年)で知られる。イリヤ・レーピンは《ヴォルガの舟曳き》(1870〜1873年)や《トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック》(1880〜1891年)で、ワシーリー・スリコフは《銃兵処刑の朝》(1881年)で歴史の場面を描いた。風景画ではイワン・シーシキンの森や、イサーク・レヴィタンの詩情ある風景が名高い。
前後の流派との関係
アカデミーの規範に反発し、同時代の現実を描こうとした点で、フランスの写実主義と同じ時代の流れに属する。19世紀末になると、美そのものを重んじる「芸術世界」の画家たちや象徴主義、のちのロシア・アヴァンギャルドが、移動派の物語的な写実を古いものとして退けた。一方でソビエト時代には、移動派の写実は社会主義リアリズムの手本として重んじられた。