
《自画像》1878年、ロシア美術館
Wikimedia Commons / ロシア美術館 / Public domain- 生没年
- 1844–1930年
- 国籍
- ロシア
- 様式
- 移動派
イリヤ・レーピン
1844年にロシア帝国のチュグーエフ(現ウクライナのチュフイウ)で生まれ、1930年に没した画家。移動派の中心として、民衆の暮らし、歴史の劇的な場面、同時代の人々の肖像を力強い写実で描いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1844年8月、ロシア帝国ハリコフ県のチュグーエフ(現ウクライナのチュフイウ)に、屯田兵の家に生まれた。十代でイコンを描く職人として働き、1863年にペテルブルクへ出て、翌年帝国美術アカデミーに入学した。イワン・クラムスコイに師事し、1871年に金メダルを受ける。1873〜1876年にパリとノルマンディーで学んだのち帰国し、移動派の画家として活躍した。晩年はペテルブルク近郊クオッカラの自邸「ペナーティ」で過ごし、フィンランド独立後もとどまり、1930年9月に同地(現レーピノ)で没した。
様式の変遷
ヴォルガ川を旅して写生した《ヴォルガの舟曳き》(1870〜1873年)で、過酷な労働に従う人々を正面から描いて名を上げた。パリでは印象派の展覧会にも接し、戸外の光と明るい色を学んだ。帰国後は、民衆の姿を描く風俗画、歴史の劇的な場面、同時代の作家や音楽家の肖像を並行して手がけ、人物一人ひとりの心理と性格を描き分ける力で際立った。1885年に発表した《イワン雷帝とその息子》は、その生々しさから一時展示を差し止められた。
代表作
《ヴォルガの舟曳き》(ロシア美術館)、《クルスク県の復活大祭の十字行》(1881〜1883年)、《イワン雷帝とその息子》、《思いがけなく》(1884〜1888年、いずれもトレチャコフ美術館)、《トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック》(1880〜1891年、ロシア美術館)がある。トルストイやムソルグスキーの肖像でも知られる。
影響
移動派の中心的な画家として、19世紀後半のロシア絵画の写実主義を代表する存在となった。少年時代のヴァレンティン・セローフを指導し、1894年からはアカデミーで多くの画家を育てた。社会の現実と歴史を大画面に描く作風は、ソビエト時代に写実絵画の手本とされた。