
イワン・クラムスコイ《画家イワン・シーシキンの肖像》(1880年、ロシア美術館)
Wikimedia Commons / ロシア美術館 / Public domain- 生没年
- 1832–1898年
- 国籍
- ロシア
- 様式
- 移動派
イワン・シーシキン
1832年にロシアのエラブガで生まれ、1898年にサンクトペテルブルクで没した画家。移動派の創設に加わり、松や樅の深い森を、正確な素描に基づく堂々とした画面で描き続けた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ロシア美術館によれば、1832年にエラブガで生まれた。1852年から1856年までモスクワ絵画彫刻学校でアポロン・モクリツキーに、1856年から1860年まで帝室美術アカデミーで風景画家ソクラート・ヴォロビヨフに学ぶ。1862年から1865年にかけてドイツとフランスで研鑽を積み、チューリヒでは画家ルドルフ・コラーのアトリエで銅版画の技法を身につけた。1865年にアカデミー会員、1873年に教授となる。移動派(移動展覧会協会)の創設会員の一人で、エッチング画家の協会にも加わった。1898年、サンクトペテルブルクで没した。
様式の変遷
ロシア美術館は、その方法が自然の深い研究に基づき、ロシアの自然の雄大な姿を記念碑のように描き出したとする。トレチャコフ美術館によれば、主題はほとんどが森、それも一年じゅう緑の針葉樹の森だった。同時代の人々から「ロシアの森の歌い手」と呼ばれたが、その絵は抒情的というより叙事的で堂々としており、アレクセイ・サヴラーソフやフョードル・ワシーリエフのように移ろう自然の姿を追うことはなかった。絵の基礎には注意深く正確な素描があり、大きさや絵具の載せ方の違う筆を使い分けて、花や草、苔の質感を描き分けた。
代表作
《ライ麦畑》(1878年)、《松林の朝》(1889年、いずれもトレチャコフ美術館)、故郷エラブガ近くの森の習作をもとにした晩年の《船材の林》(1898年、ロシア美術館)がある。
影響
トレチャコフ美術館は、《松林の朝》をこの画家の作品のなかでも最も観客に愛された一点とする。一方で同館は、図版が広く出回ったことで、自然の力に向けた画家の真剣なまなざしが見過ごされがちになったとも指摘している。ロシア美術館は《船材の林》を、半世紀にわたる画業の見事な総決算と位置づける。