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イワン・クラムスコイの肖像

イワン・クラムスコイ《自画像》1867年、トレチャコフ美術館

Wikimedia Commons / トレチャコフ美術館 / Public domain
生没年
1837–1887年
国籍
ロシア
本DB収録 2 点

イワン・クラムスコイ

Ivan Kramskoi

1837年にロシア南部のオストロゴジスクに生まれ、1887年にペテルブルクで没した画家。アカデミーの規範に反旗をひるがえし、移動派の理論的な柱として19世紀後半のロシア絵画を導いた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

1837年5月27日(ユリウス暦)、ロシア南部の町オストロゴジスクに、貧しい小市民の家に生まれた。写真の修整の仕事で腕を磨いたのち、1857年にペテルブルクの帝国美術アカデミーへ入る。1863年、金メダル競作の課題が神話の主題に決められたことに反発し、仲間14人とともにアカデミーを去った。いわゆる「14人の反乱」で、その先頭に立ったのがクラムスコイである。彼らはワシリエフスキー島に事務所と画室を構えて美術家組合をつくり、共同で生計を立てた。1870年には移動派(移動展覧会協会)の結成に加わり、以後20年近くその理論的・精神的な支柱となる。1887年3月24日、肖像画を描いている最中に画架の前で倒れて没した。

様式の変遷

写真修整で身につけた緻密な観察が、肖像画の土台になっている。顔の造作を写すだけでなく、相手の思想や境遇を画面に呼び込むことを目指し、暗い背景から顔と手だけを浮かび上がらせる構成を好んだ。画家の役目は人々の前に鏡を置いて不安にさせることだと考え、宗教主題においても伝統的な図像を退けて、生身の人間としての葛藤を描いた。

代表作

《荒野のキリスト》(1872年、トレチャコフ美術館)のほか、《レフ・トルストイの肖像》(1873年、同)、《忘れえぬ女》(1883年、同)、《癒やしがたい悲しみ》(1884年、同)が知られる。

影響

移動派の展覧会をロシア各地へ運ぶ仕組みを支え、美術を都の画壇から社会へ開いた。イリヤ・レーピンをはじめ多くの画家が彼に学び、また彼の求めた「思想を持つ絵画」の姿勢は、19世紀後半のロシア美術の骨格をつくった。

代表作MAJOR WORKS

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