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《トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック》

Запорожцы пишут письмо турецкому султану
《トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック》イリヤ・レーピン
Wikimedia Commons / ロシア美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
イリヤ・レーピン
制作年
1880–1891年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
203 × 358 cm
流派
移動派
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イリヤ・レーピンが1880年から1891年まで11年をかけて描いた歴史画。降伏を迫るオスマン帝国のスルタンに、罵りと冗談を詰め込んだ返書を書くザポロージャ・コサックたちが、机を囲んで腹を抱えて笑い合う。

概要

《トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック》(露: Запорожцы пишут письмо турецкому султану)は、イリヤ・レーピンが1880年から1891年にかけて描いた油彩画である。オスマン帝国のスルタンから降伏を迫る書状を受けたザポロージャ・コサックたちが、ありったけの罵りと冗談を込めた返書をしたためながら、腹を抱えて笑い合う場面を、縦2メートル、横3.5メートルを超える大画面に描いた。移動派を代表する画家の歴史画で、サンクトペテルブルクのロシア美術館が所蔵する。

来歴

主題は、17世紀後半、頭領イワン・シルコのもとでザポロージャ・コサックがスルタン・メフメト4世に送ったとされる返書の伝説である。ザポロージャ・コサックは、現在のウクライナ南部、ドニプロ(ドニエプル)川下流に拠った戦士の共同体だった。返書の文面は19世紀に広く流布したが、実際に送られたかどうかはわかっていない。レーピンはこの話を、実業家サッヴァ・マモントフのもとに集う芸術家の間で知り、1878年に最初の素描を描いた。歴史家ドミトロ・ヤヴォルニツキーの助けを得て史料を調べ、現在のウクライナ各地を旅して人物や衣装、武具を写生している。画面の下端には制作の年「1880–91」が記された。完成作は皇帝アレクサンドル3世が買い上げて冬宮に飾り、1897年、ニコライ2世がロシア美術館に贈った。

画面の読み解き

野営地の机を20人近いコサックが取り囲む。中央では若い書記がペンを走らせ、その向かいで、パイプをくわえた頭領シルコが身を乗り出して文句を考える。右では、白い毛皮の帽子に赤い上着の大男が腹を抱えてのけぞり、その周りでは、笑い転げる者、にやりとする者、文案に口を出す者がひしめく。手前には上半身裸の男と、見る者に背を向けた男たちが座り、右端には白い外套の男が立つ。刀や槍、火縄銃、弦楽器、酒の瓶が散らばり、遠景には野営地の旗と槍が並ぶ。自由と豪胆を誇ったコサックの暮らしが、笑いの一瞬に凝縮されている。

人物の多くには実在のモデルがいる。書記は歴史家ヤヴォルニツキー、シルコは陸軍の将軍ミハイル・ドラゴミーロフ、赤い上着の大男は大学教授アレクサンドル・ルベツが演じ、画家の友人や学生、旅先で出会った人々も画面に加わった。モデルたちの出自はウクライナ、ロシア、ポーランドなどさまざまだった。

技法・様式

キャンバスに油彩で描かれている。レーピンは、大笑いする顔、にやりと笑う顔、真剣に文案を練る顔を一人ひとり描き分け、笑いが輪の中を伝わっていく様子をとらえた。ロシア美術館は、その生き生きとした描写をディエゴ・ベラスケスやフランス・ハルスの作品になぞらえている。構図は机を中心にした円陣で、手前に背を向けて座る人物たちが、見る者を輪の中に引き入れる。レーピンは完成作と並行して、1889年から、より史実に忠実な第2作にも取り組んだが、こちらは未完に終わり、現在はウクライナのハルキウ美術館にある。

意義

1891年に公開された本作は、1895年にミュンヘンとブダペストの展覧会で金メダルを受けるなど国外でも評価され、レーピンの代表作となった。権威を笑い飛ばすコサックの姿は広く親しまれ、20世紀初めには、議会や政府を風刺する漫画にたびたび構図が借用された。返書の文面はアポリネールの詩にも取り入れられ、ショスタコーヴィチの交響曲第14番で歌われている。ザポロージャ・コサックはウクライナの歴史の象徴でもあり、本作は今日もさまざまな立場から繰り返し参照されている。