
1909年の写真
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1848–1916年
- 国籍
- ロシア
- 様式
- 移動派
ワシーリー・スリコフ
1848年にシベリアのクラスノヤルスクで生まれ、1916年にモスクワで没したロシアの画家。移動派に加わり、ピョートル1世の時代や古いロシアの事件を、多くの人物がひしめく大画面に描いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
トレチャコフ美術館の雑誌『ラヴルス』によれば、エルマークの部隊で戦いクラスノヤルスクの建設に加わった古いコサックの家の出で、同地で生まれ育った。古いロシアの暮らしが残る土地で、昔の衣装や武具が日々使われていたことが、歴史を生きたものとして感じる素地になった。帝国美術アカデミーを優秀な成績で終えると、モスクワの救世主ハリストス大聖堂の壁画の制作に加わり、それを終えてからは公の注文を受けなかった。アカデミー在学中に出会ったエリザヴェータ・シャレと結婚し、二人の娘をもうけた。1881年に移動派の移動展覧会協会に加わる。1916年、モスクワで没した。
様式の変遷
『ラヴルス』によれば、スリコフは古い建物を生きた人のように見つめ、「あなたは見た、聞いた、証人だ」と問いかけて歴史の姿を引き出した。文献の調査は、ひらめきのように浮かんだ場面をあとから補い確かめるものだった。登場人物の型を探して何年も旅をし、《エルマークのシベリア征服》ではシベリアを3年かけてめぐり、《スヴォーロフのアルプス越え》ではスイスへ出かけた。
代表作
トレチャコフ美術館の《銃兵処刑の朝》(1881年)、《ベリョーゾフのメンシコフ》(1883年)、《大貴族モロゾワ》(1887年)のほか、《雪の城塞の奪取》(1891年)、《エルマークのシベリア征服》(1895年)、《スヴォーロフのアルプス越え》(1899年)が知られる。
影響
『ラヴルス』によれば、長女オリガは前衛の画家集団「ダイヤのジャック」を率いたピョートル・コンチャロフスキーと結婚し、スリコフは年長の画家としては珍しく新しい絵画の探求に理解を示した。孫娘ナタリヤ・コンチャロフスカヤの子が、映画監督のアンドレイ・コンチャロフスキーとニキータ・ミハルコフである。