《静かな僧院》
夕映えの雲が浮かぶ空の下、静かな川の向こうの森から、白い鐘楼と緑の丸屋根の聖堂がのぞく。手前の岸からは、細い丸太の手すりの付いた古い板橋が水面を渡り、対岸の小道へ続く。水面には木々と聖堂が映る。
概要
《静かな僧院》は、ロシアの画家イサーク・レヴィタンが1890年に描いた油彩の風景画で、モスクワのトレチャコフ美術館が所蔵する。原題は《Тихая обитель》で、「静かな住まい」「静かな修道院」の意味。館の美術誌『トレチャコフ・ギャラリー』の図版目録では、縦87.5センチ、横108センチのキャンバスである。右下に画家の署名と「90」の年記がある。
画面の読み解き
夕方の空には、沈む日に染まった薄桃色の雲がたなびく。画面の中ほどを静かな川が横切り、対岸の森の上には、左に白い鐘楼と緑の丸屋根の聖堂、右にいくつもの緑の丸屋根をいただく白い聖堂がのぞく。手前の岸からは、細い丸太を組んだ手すり付きの古い板橋が、たわみながら水面を渡って対岸の小道へつながる。鏡のような水面には森と聖堂の姿が逆さに映り、左下の水には睡蓮の葉が浮かぶ。人の姿はどこにもない。
技法・様式
館の美術誌に載ったG. アンドレーエワの論文は、本作を含む1887年から1890年のヴォルガの風景が、自然の気分や状態の微妙な変化を詩情豊かに伝え、レヴィタンに「ロシア第一の風景画家」の名声をもたらしたと述べる。こうした繊細な絵は「気分の風景画」と呼ばれた。本作では、夕暮れの空と水面の淡い明るさの間に、森の暗い帯が横たわり、白い聖堂がその上に浮かぶ。
来歴
同誌の年譜によれば、レヴィタンは1890年の夏をソフィヤ・クフシンニコワとともにヴォルガ河畔で過ごし、プリョス、ユリエヴェツ、キネシマに滞在した。モスクワに戻ってから本作の制作に取りかかった。翌1891年、モスクワ絵画彫刻建築学校で復活祭の週に開かれた第19回移動派展に出品されると、観客の間で大きな評判となり、レヴィタンに広い名声をもたらした。チュラークの論文によれば、チェーホフは妹への手紙で、レヴィタンが「栄えあるミューズの名の日を祝っている。彼の絵は大評判だ……レヴィタンの成功は並のものではない」と書き送った。同じ年、レヴィタンは移動派の会員に迎えられている。
意義
館の美術誌に載ったガリーナ・チュラークの論文によれば、作家アントン・チェーホフは1895年の短編『三年』で、女主人公ユーリヤを復活祭の週の展覧会でこの風景画の前に立ち止まらせた。小説の描写は絵の細部を正確に写してはいないが、人と自然が溶け合う雰囲気を驚くほど正確にとらえており、夕映えに「何か地上のものではない、永遠のもの」を感じるユーリヤの思いは、レヴィタンの風景の「魂」を言い当てている。所蔵館は、2年後の《夕べの鐘》を、本作の風景の主題を発展させ、空間をより広く見渡すように描き直した作品と位置づけている。チュラークはまた、本作を《夕べの鐘》(1892年)や《三月》(1895年)とともに、人間と自然のさまざまな関わりを自在に描き出す画家の力を示す作品に挙げている。