《イワン雷帝とその息子》
赤い絨毯の敷かれた薄暗い部屋で、黒衣の老いた皇帝が床に座り込み、頭から血を流す息子を抱きかかえる。大きく見開いた目には恐れと悔いがあふれ、手前には血のついた杖が転がっている。
概要
《イワン雷帝とその息子》(露: Иван Грозный и сын его Иван 16 ноября 1581 года)は、ロシアの画家イリヤ・レーピンが1885年に完成させた油彩画である。縦199.5センチ、横254センチのキャンバスで、モスクワのトレチャコフ美術館が所蔵する。正式の題は《1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン》。ロシアのツァーリ、イワン4世が、口論の末に皇太子イワンを杖で打ち、致命傷を負わせた直後の場面を描いた歴史画である。
画面の読み解き
薄暗い部屋の床に、黒い衣の老いた皇帝が座り込み、桃色の衣の皇太子を右腕で抱き寄せて、左手でこめかみの傷を押さえる。血は指のあいだからあふれて顔と首を伝い、皇太子は左手を床について、辛うじて体を支えている。皇帝の髪は乱れ、大きく見開いた目は恐れにとらわれている。床には濃い模様の絨毯が何枚も重なって波打ち、手前には血のついた王笏が転がる。左には赤いクッションが落ち、奥ではタイル張りの暖炉が闇に沈む。
技法・様式
所蔵館によれば、構図は引き締まって簡潔で、二人の人物だけが薄暗がりの中から光で浮かび上がり、感情の極限を表す。濃い深紅の色調が、場面の悲劇を強める。絨毯や皇帝と皇太子の衣、室内の品々は不穏な光の中に、多彩な質感と豊かな暗い色で描かれ、画家イワン・クラムスコイはその絵を「本物のオーケストラ」と呼んだ。所蔵館のウェブマガジン『ラヴルス』(ガリーナ・チュラク、2019年)によれば、皇帝の姿には画家グリゴリー・ミャソエードフの風貌が生かされ、皇太子のモデルは作家フセヴォロド・ガルシンが務めた。桃色の衣を着て同じ向きでポーズをとったのは、風景画家ウラジーミル・メンクである。
来歴
所蔵館によれば、構想の最初のきっかけは、リムスキー=コルサコフの交響曲《アンタール》などの音楽の印象だったが、決定的だったのは1881年春の皇帝アレクサンドル2世の暗殺と、それに続く陰謀者たちの処刑だった。「現代の恐ろしさに感情があふれていた」と語る画家は、その出口を歴史に求め、歴史家ニコライ・カラムジンの『ロシア国家史』が伝える口論と殺害の場面に従った。1882年に最初の素描を描き、1885年にペテルブルクで開かれた移動派の第13回展で発表した。しかし宗務院総監コンスタンチン・ポベドノスツェフの働きかけで展示から外され、画家から絵を買ったパーヴェル・トレチャコフも、3か月のあいだ公開を禁じられた。所蔵番号743。1913年1月には男がナイフで3度切りつけて皇帝の顔などを傷つけ、2018年5月25日には金属の棒で保護ガラスが割られて、皇太子の衣の部分でキャンバスが3か所破れた。4年がかりの修復を経て、2024年12月に館のレーピンの間の常設展示に戻った。
意義
所蔵館によれば、作品の主題は、殺害が思いがけないものだったことと、犯した罪への悔いにある。過去と現在の呼応に、「殺すなかれ」という揺るがない道徳律を人が踏みにじることへの思索が重ねられている。完成直後から今日まで、同時代の人々と何世代もの観客、批評家、研究者の注目を集め、画家の表現をそのまま受け入れる声と、その構想への強い反発とをともに呼び起こしてきた。1913年の事件のあとには、若い批評家マクシミリアン・ヴォローシンと老大家レーピンのあいだで挑発的な論争が交わされ、画家は観客だけでなく批評からも熱い支持を受けた。