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コンスタンチン・サヴィツキーの肖像

イワン・クラムスコイ《画家コンスタンチン・サヴィツキーの肖像》(1871年、ヴォロネジ州立美術館)

Wikimedia Commons / ヴォロネジ州立美術館 / Public domain
生没年
1844–1905年
国籍
ロシア
様式
移動派
本DB収録 1 点

コンスタンチン・サヴィツキー

Konstantin Savitsky

1844年にロシア南部のタガンログで生まれ、1905年にペンザで没した画家。移動派の風俗画家として民衆の労働や暮らしを描き、シーシキンの《松林の朝》では熊の親子を描いた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

ロシア美術館によれば、1844年にタガンログで生まれた。トレチャコフ美術館によれば軍医の家の出で、1862年に帝室美術アカデミーに入り、ロシア美術館によれば1867年から1873年まで再び在籍した。1874年から1875年はパリに住み、夏にはオーヴェルニュやノルマンディーで制作している。1878年に移動派(移動展覧会協会)の会員となった。サンクトペテルブルクのシュティーグリッツ男爵中央技術素描学校(1883〜1889年)と、モスクワ絵画彫刻建築学校(1891〜1897年)で教え、1897年にペンザの美術学校を創設して校長となり、翌年にはペンザ美術館を設けた。1895年に帝室美術アカデミーの正会員、1897年にアカデミー会員となり、1905年にペンザで没した。

様式の変遷

ロシア美術館は、画家・素描家・版画家で、風俗画と挿絵を手がけたとする。トレチャコフ美術館によれば、移動派を代表する画家の一人で、1874年の第3回移動派展に出品した《鉄道路線の修復工事》が最初の重要な作品となり、名を知られた。同館によれば、画家イワン・クラムスコイはこの展覧会でサヴィツキーが「たいへん有利に目立った」と書き、批評家アレクサンドル・ベヌアは、この作品によって画家が移動派の「重要な支え」になったとみた。

代表作

《鉄道路線の修復工事》(1874年、トレチャコフ美術館)、《戦争へ》(1888年、ロシア美術館)がある。友人イワン・シーシキンの《松林の朝》(1889年、トレチャコフ美術館)では、倒れた松の上で遊ぶ熊の親子を描いた。

影響

トレチャコフ美術館によれば、サヴィツキーは1889年3月の家族への手紙で、自分も《松林の朝》に「まったく不在ではない」と書き、熊の一家は自分が、森の風景はシーシキンが描いたと伝えている。パーヴェル・トレチャコフは作品を4000ルーブルで買い、その4分の1をサヴィツキーが受け取ったが、展覧会の目録でもトレチャコフのもとでも作者はシーシキンだけとされた。画面の自分の署名は、サヴィツキー自身が筆で塗り消したのかもしれないと同館はみる。

代表作MAJOR WORKS

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