《銃兵処刑の朝》
夜明けの薄明かりの赤の広場に、白い死装束をまとい蝋燭を手にした銃兵たちが、妻や母、子どもに囲まれて荷車にひしめく。右では馬上のピョートル1世が彼らを見下ろし、赤ひげの銃兵がその目をにらみ返す。
概要
《銃兵処刑の朝》(露: Утро стрелецкой казни)は、ロシアの画家ワシーリー・スリコフが1881年に描いた油彩画である。縦223センチ、横383.5センチのキャンバスで、モスクワのトレチャコフ美術館が所蔵する。1698年の最後の銃兵(ストレリツィ)の反乱の結末を描いた歴史画である。
画面の読み解き
トレチャコフ美術館によれば、スリコフは赤の広場での処刑の様子を史実に沿って描き、ピョートル1世の側近の中に、腹心メンシコフ、貴族チェルカスキー、オーストリア大使グァリエントと、その書記で事件の記録を残したヨハン・コルプを描き込んだ。館の雑誌『ラヴルス』によれば、曇った夜明けの鈍い光の中で、銃兵たちの白い死装束に蝋燭の炎が赤く映る。赤ひげの銃兵はピョートルを憎しみの目でにらみ、二人の視線は剣のように交わって画面全体を支える。いちばん高く立つ銃兵は、背を向けた皇帝にではなく、民衆に向かって別れの礼をする。聖ワシリイ大聖堂とクレムリンの壁の間には、絞首台の影が並ぶ。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。館によれば、画家は1867年に出版されたコルプの日記を手がかりに、200年前の空気を細部まで再現した。多くの人物からなる構図を、興味深い角度や身のこなしで組み立て、左の銃兵と家族の群れと、右の皇帝と新しい兵士たちを対立させる。『ラヴルス』によれば、スリコフは赤の広場を歩いていたとき、聖ワシリイ大聖堂の姿を見つめるうちに、この処刑の場面が突然ありありと浮かんだと語っている。
来歴
館によれば、本作は1881年にパーヴェル・トレチャコフが作者から買い取った。所蔵番号は775。『ラヴルス』によれば、同時代の人々の多くは絞首台がなぜ空なのかを理解できず、イリヤ・レーピンは少なくとも一人は吊るすよう強く勧めたが、スリコフは処刑そのものではなく、最後の瞬間の厳粛さを伝えることを重んじた。
意義
館によれば、本作は、反抗する古いロシアを表す銃兵たちと、ヨーロッパ化する新しいロシアを表す皇帝との対立を描く。『ラヴルス』は、画家が誰も裁かず、英雄と悪人を分けていないとし、ピョートルも銃兵もそれぞれの信と真を貫くロシアの人物として描かれていると述べる。批評家セルゲイ・マコフスキーは、スリコフの絵を、過去を夢と現の区別なく見た「魔法の夢」と呼んだ。