- 時期
- 1600–1700年
- 地域
- 南ネーデルラント(アントウェルペン、ブリュッセル)
- 時代
- バロック・ロココ
フランドル・バロック絵画
17世紀の南ネーデルラント(現在のベルギー)で展開したバロック絵画。スペインの統治とカトリックの教会の注文を背景に、アントウェルペンのルーベンスを中心として、祭壇画、神話画、肖像画が大きく花開いた。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
16世紀末にネーデルラントが南北に分かれると、南部はカトリックのスペインの支配下にとどまり、現地の総督が治めた。アシュモレアン美術館によれば、各地の教会や修道院が大きな祭壇画や彫刻を注文し、それが美術の市場を動かした。1609年には、北のネーデルラント連邦共和国と南のスペイン領ネーデルラントのあいだで十二年休戦が結ばれる。同じころ、イタリアとスペインでの修業を終えて1608年にアントウェルペンへ戻ったピーテル・パウル・ルーベンスが、総督のアルブレヒト大公とイサベル大公妃に仕え始めた。
造形上の特徴
メトロポリタン美術館によれば、ルーベンスはイタリアで古代彫刻とラファエロ、ミケランジェロ、コレッジョ、カラヴァッジョらの作品に学んだ。その成果を土台に、教会の祭壇画や宮殿を飾る連作、狩猟図、神話画を次々に手がけた。多くの弟子と助手を抱える大工房に加え、花や風景に長けたヤン・ブリューゲル(父)や動物画家フランス・スネイデルスとの共作も盛んで、専門の画家が画面を分担した。大画面、動きのある人体、豊かな衣や肉体の表現が見分ける手がかりになる。
代表画家と代表作
ルーベンスは、アントウェルペン大聖堂の《キリスト昇架》と《キリスト降架》や《マリー・ド・メディシスの生涯》の連作を描き、結婚の年には《ルーベンスとイザベラ・ブラント》(1609〜1610年頃、アルテ・ピナコテーク)を、再婚後には《三美神》を残した。アシュモレアン美術館によれば、アンソニー・ヴァン・ダイクは18歳ほどでドミニコ会の注文を受け、のちにルーベンスの最も重要な助手となった。メトロポリタン美術館によれば、ヴァン・ダイクはのちにイングランドでチャールズ1世に仕えた。ヤーコプ・ヨルダーンスも1628年頃に大きな祭壇画の注文を受けた。
前後の流派との関係
南ネーデルラントには、初期フランドル派からピーテル・ブリューゲル(父)へ続く北方ルネサンスの伝統があり、ブリューゲルの次男ヤンはルーベンスの共作者となった。同じ時代、北のネーデルラントでは市民が小さな絵を買い求めるオランダ黄金時代の絵画が栄え、スペインではルーベンスと交わったディエゴ・ベラスケスらのスペイン・バロック絵画が展開した。メトロポリタン美術館によれば、ルーベンスの影響は2世紀以上にわたり、ヴァトーやドラクロワにまで及んだ。