《三美神》
- 作者
- ピーテル・パウル・ルーベンス
- 制作年
- 1630–1635年
- 素材
- オーク材の板 / 油絵具
- 寸法
- 220.5 × 182 cm
- 所蔵
- プラド美術館
- 時代
- バロック・ロココ
- 流派
- フランドル・バロック絵画
ばらの花綱がかかる木陰で、裸の三人の女神が腕を絡めて輪をつくる。中央の女神は背を向け、左右の二人は横顔と正面を見せる。右には子どもの像をいただく泉があり、左の奥には明るい野が広がる。
概要
《三美神》(西: Las tres Gracias)は、ピーテル・パウル・ルーベンスが1630年から1635年頃に描いた油彩画である。縦220.5センチ、横182センチのオーク材の板絵で、マドリードのプラド美術館が所蔵する。古代の神話で輝き、喜び、花盛りを表す三人の女神を、腕を絡めて輪になる姿で描く。所蔵館によれば、左の女神の顔は、1630年12月に53歳のルーベンスと再婚した16歳のエレーヌ・フールマンの肖像に似ており、画家は本作を亡くなるまで手もとに置いていた。晩年のフランドル・バロック絵画を代表する神話画である。
画面の読み解き
木の枝と泉のあいだの草地で、三人の女神が肩や腰に腕を回し合い、輪になって立つ。所蔵館によれば、中央の女神は背を向け、ほかの二人は横顔と正面を見せる。透ける薄い布が、三人の体をゆるやかにつないでいる。右には小川が湧き出す泉があり、その上に豊穣の角を抱えた子どもの像が立つ。左上の枝には一人分の衣が掛けられ、角から枝へ、白と赤の満開のばらの花綱が渡される。左の奥には鹿のいる明るい野が広がり、青い空に雲が浮かぶ。
技法・様式
所蔵館によれば、ルーベンスは三人の小さな神々を、記念碑的な大きさで描いた。女神たちは木々を通した日の光とは別の方向、つまり絵の前に立つ私たちの側から照らされており、画面は自然の再現よりも舞台のような奥行きを帯びる。鹿は愛と欲望を、ばらは女神たちの輝きを暗示し、泉の子どもはキューピッドとみられる。所蔵館は、板に描かれていることから、ルーベンスが本作を自分のために描いた可能性を指摘する。晩年に描いた家族の肖像画の多くも、同じく板を支持体にしている。1997年から1998年にかけて、館の工房で全面的な修復が行われた。
来歴
所蔵館によれば、本作は1640年にルーベンスが亡くなったとき、画家自身の収集品の中にあった。スペイン王が相続人から買い入れた作品の唯一知られる一覧には載っていないが、1666年にはマドリードのアルカサル(旧王宮)の目録に記録されている。のちに新王宮へ移り、18世紀の末には、裸体が不適切とみなされた作品の一群とともに、王立サン・フェルナンド美術アカデミーへ移された。1827年にプラド美術館に入り、しばらくは裸体画を集めた特別室に掛けられたが、1839年にフランドル絵画の展示室が新設されるとそこへ移った。所蔵番号P001670。第29室に展示されている。
意義
所蔵館によれば、ヘシオドスの『神統記』以来、三美神(アグライア、エウプロシュネ、タレイア)はしばしばヴィーナスに付き従い、魅力、喜び、寛大さ、恩恵のやりとりを表してきた。一方で、セネカが『恩恵について』で記したように、その名の解釈は人によってさまざまだった。枝に掛けられた衣が古代のものではなく、ルーベンスと同時代の服であることは、画家が自分の人生を古典の神話に織り込んだことをうかがわせる。妻の面影を女神に与えた本作は、結婚を記念し、新しい妻を神々の世界に迎え入れる絵とも考えられている。所蔵館は、女性の体に託して、豊かな生と世界のあり方を贈る作品とみている。