
《自画像》(1623年、ロイヤル・コレクション)
Wikimedia Commons / ロイヤル・コレクション / Public domain- 生没年
- 1577–1640年
- 国籍
- 南ネーデルラント
- 様式
- フランドル・バロック絵画
ピーテル・パウル・ルーベンス
1577年にドイツのジーゲンに生まれ、1640年にアントウェルペンで没した画家。イタリアで学んだのち大きな工房を率い、祭壇画から神話画、肖像画まで数多く描いた。外交官としても活躍した。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、ドイツのジーゲンに生まれ、10歳からアントウェルペンで育った。メトロポリタン美術館によれば、アントウェルペンの3人の画家のもとで修業し、なかでもオットー・ファン・フェーンに学んだ。1600年にイタリアへ渡ってマントヴァ公に仕え、8年間、古代彫刻やラファエロ、ミケランジェロ、カラヴァッジョらの作品に学んだ。1608年に帰国し、翌1609年、南ネーデルラントのアルブレヒト大公とイサベル大公妃の宮廷画家となり、イザベラ・ブラントと結婚した。1624年にスペイン王フェリペ4世から貴族に叙され、1628〜1630年にはマドリードとロンドンでスペインとイングランドの和平交渉にあたった。1630年にエレーヌ・フールマンと再婚し、1640年5月に没した。
様式
同館は、並外れた学識と想像力の画家とし、多くの弟子と助手を抱える大工房を組織したと述べる。ヤン・ブリューゲル(父)や動物画家フランス・スネイデルスとも共作した。同ギャラリーによれば、大画面を好んだ画家の主な仕事は祭壇画で、工房は驚くほど多作だった。晩年には、売るためでなく楽しみのために風景画を多く描いた。
代表作
アントウェルペン大聖堂の《キリスト昇架》と《キリスト降架》、《マリー・ド・メディシスの生涯》の連作、ロンドンのバンケティング・ハウスの天井画が知られる。妻を描いた《ルーベンスとイザベラ・ブラント》(1609〜1610年頃、アルテ・ピナコテーク)、再婚のころの《三美神》(1630〜1635年頃、プラド美術館)もある。
影響
メトロポリタン美術館によれば、ヴァトー、ブーシェ、フラゴナール、レノルズ、ジェリコー、ドラクロワらに、2世紀以上にわたって影響を与えた。助手だったアンソニー・ヴァン・ダイクは、チャールズ1世の宮廷画家となった。