
ベルナール・レピシエ《アントワーヌ・ヴァトー》18世紀、ヴァトーの自画像にもとづく版画
Wikimedia Commons / ルーヴェン・カトリック大学図書館 / Public domain- 生没年
- 1684–1721年
- 国籍
- フランス王国
- 様式
- ロココ
アントワーヌ・ヴァトー
1684年にフランス北部のヴァランシエンヌに生まれ、1721年にパリ近郊で没した画家。着飾った男女が野外で憩う「雅宴画」を生み、18世紀初めのフランスで最も影響力のある画家となった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1684年、フランス北部のヴァランシエンヌに生まれた。ウォレス・コレクションによれば、1702年頃にパリへ出て、ノートルダム橋の画商のもとで模写を描き、のちにクロード・ジロー、1707〜1708年頃からは装飾画を専門とするクロード・オードラン3世の工房で働いた。1709年にはアカデミーのローマ賞の競技で2等となる。1712年7月30日に王立絵画彫刻アカデミーの入会候補に認められ、1717年8月28日に《シテール島への巡礼》で会員となった。1719年にはロンドンへ渡り、翌1720年に戻って画商ジェルサンの店の看板絵を描く。1721年7月18日に没した。
様式
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、修業時代からルーベンスや17世紀のフランドル、オランダの画家たちの影響を受け続けた。着飾った男女が風景の中で恋の心理を演じる小さな画面の「雅宴画(フェート・ギャラント)」を生み、イタリア喜劇の登場人物も数多く描いた。ウォレス・コレクションは、フランス絵画で最も優れた色彩画家の一人で、18世紀のフランスでおそらく最も偉大な素描家だったとしている。
代表作
《シテール島への巡礼》(1717年、ルーヴル美術館)は、アカデミーへの入会作品である。帰国後の《ジェルサンの看板》(1720年)は、ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿にある。
影響
ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、18世紀初めのフランスで最も影響力のある画家の一人とし、雅宴画の主題はランクレやパテルらに受け継がれたとする。作品の多くは注文ではなく美術市場のために描かれ、収集家のあいだでたちまち人気を集めた。雅宴画の流行は、18世紀のロココの絵画へとつながっていく。