
《緑のチョッキの自画像》(1837年頃、ルーヴル美術館)
Wikimedia Commons / ルーヴル美術館 / Public domain- 生没年
- 1798–1863年
- 国籍
- フランス
- 様式
- ロマン主義
ウジェーヌ・ドラクロワ
1798年にパリ近郊で生まれ、1863年にパリで没したフランスの画家。激しい色彩と動きのある構図で、同時代の事件や文学、東方の風俗を描き、フランス・ロマン主義を代表する画家となった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1798年4月26日、パリに近いシャラントン=サン=モーリスに生まれた。1815年、叔父の画家リズネールの口添えで、ピエール=ナルシス・ゲランのアトリエに入る。1822年、24歳でサロンに出した《ダンテの小舟》が批評家の目を引き、1824年にはギリシア独立戦争に取材した《キオス島の虐殺》を出品した。1827年の《サルダナパールの死》はヴィクトル・ユゴーやアレクサンドル・デュマを魅了する。1830年の七月革命を主題に《民衆を導く自由の女神》を描き、翌年のサロンに出した。1832年1月、モルネー伯爵の使節団に加わってモロッコを訪れ、この旅から60点を超える絵が生まれた。1830年代からはブルボン宮、ルーヴル宮のアポロンの間、サン=シュルピス教会の礼拝堂などで壁画や天井画を描く。1857年1月、7度目の挑戦で芸術アカデミーの会員に選ばれ、同年フュルスタンベール通りへ移った。1863年8月13日、その住まいで没した。
様式の変遷
輪郭と素描を重んじる新古典主義の規範に対し、色彩と筆の動きで画面を組み立てた。アングルとはしばしば対比され、ロマン主義の旗手と目された。初期は、ルーベンスやヴェネツィア派の色彩に学んだ劇的な歴史画や、文学と同時代の事件に取材した大画面を描いた。モロッコ旅行の後は、北アフリカの強い光と人々の暮らしを描いた東方の主題が加わり、晩年は宗教画と大規模な装飾画に力を注いだ。
代表作
《ダンテの小舟》(1822年)、《キオス島の虐殺》(1824年)、《サルダナパールの死》(1827年)、《民衆を導く自由の女神》(1830年)、《アルジェの女たち》(1834年)が知られ、いずれもルーヴル美術館にある。
影響
新印象派のポール・シニャックは1899年に『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義へ』を著し、色彩の理論の源をドラクロワに求めた。色と色を響き合わせる彼の方法は、印象派から新印象派、ポスト印象派の画家たちへと受け継がれていく。晩年を過ごしたフュルスタンベール通りの住まいとアトリエは、いま国立ドラクロワ美術館になっている。