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《執筆する聖ヒエロニムス》

San Girolamo scrivente
《執筆する聖ヒエロニムス》カラヴァッジョ
Wikimedia Commons / 聖ヨハネ准司教座聖堂 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
カラヴァッジョ
制作年
1607–1608年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
117 × 157 cm
所蔵
聖ヨハネ准司教座聖堂 (《洗礼者聖ヨハネの斬首》と同じオラトリオに展示)
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ローマから逃れたカラヴァッジョがマルタ島で描いた油彩画。老いた聖ヒエロニムスが寝台の縁に腰かけ、闇のなかで聖書の翻訳に向かう。右下の紋章は発注者マラスピーナのものである。

概要

《執筆する聖ヒエロニムス》(伊: San Girolamo scrivente)は、カラヴァッジョが1607年から1608年にかけて描いた油彩画である。縦117センチ、横157センチ。バレッタの聖ヨハネ准司教座聖堂が所蔵し、オラトリオに掛かる。画家は1606年にローマで人を殺め、ナポリを経て1607年7月にマルタへ渡っており、本作はその亡命の日々に生まれた。

来歴

発注したのは、マルタ騎士団ナポリ管区長のイッポリト・マラスピーナである。画面右下に同家の紋章が置かれ、そのことを裏づける。マラスピーナは、画家の庇護者だった銀行家オッターヴィオ・コスタの姻戚にあたる。絵ははじめマラスピーナのバレッタの邸宅にあり、1624年の彼の死後、聖堂のイタリア語区礼拝堂へ移された(移設を1629年5月とする研究もある)。1661年には同じ礼拝堂のアーチの上へ、1957年に国立美術館へ、1964年に聖堂付属の博物館へと移り、1984年12月29日に盗まれる。犯人は額から外すために画面の縁を切り取り、身代金の証拠として切片を博物館長のゼラファ神父へ送りつけた。1988年8月4日に取りもどされたが損傷は大きく、ローマで修復を受けたうえで1990年代にオラトリオへ戻った。

画面の読み解き

聖ヒエロニムスは4〜5世紀の教父で、聖書をラテン語に訳した人物として知られる。ここでは上半身裸の老人として、寝台の縁に腰かけ、赤い布を腰に巻いて机に身を乗り出す。背後の壁には枢機卿の赤い帽子が掛かり、机にはメメント・モリの髑髏と蝋燭立て、キリストの磔刑像、悔悛のために胸を打つ石が置かれる。頭上にはごく細い光輪がかすかに見える。交錯する垂直線と水平線に、右の髑髏と左の机の端を底辺とし頭部を頂点とする三角形が重なり、画面の中央に聖人を据えて構図を安定させている。

技法・様式

色数は赤・白・肌色と褐色にほぼ限られ、左手前からの光が人物だけを照らし出す。背景は塗りつぶされた闇で、テネブリズムの手法がもっとも切りつめられた形で現れている。絵具の層は薄く、近年は下塗りが透けて見えるようになった。細部よりも人物の内面を見せることに重きが置かれており、ローマ時代の劇的な構図から離れた晩年の作風を示す。

意義

同じオラトリオに掛かる《洗礼者聖ヨハネの斬首》とともに、マルタ滞在中の代表作とされる。聖人の顔は騎士団長アロフ・ド・ヴィニャクールを写したものとする説が古くからあり、そのため《ヴィニャクールの聖ヒエロニムス》と呼ばれることもあるが、確証はない。イタリア・バロック絵画の画家が追われながら描いた、静かな祈りの絵である。